CS進出決定!
いつの日か輝くだろう 今宵の月のように

(今宵の十五夜の月、私のデジカメのスペックではこれが限界でした……orz)
東北楽天ゴールデンイーグルス、今夜埼玉西武ライオンズに勝って、
悲願のCS出場を決めました!!


(今宵の十五夜の月、私のデジカメのスペックではこれが限界でした……orz)
東北楽天ゴールデンイーグルス、今夜埼玉西武ライオンズに勝って、
悲願のCS出場を決めました!!

クリーンナップの4人が、計5本の花火をKスタの夜空に打ち上げたって、本当ですか!?
5番の天才打者がソロホームランを、
6番の途中加入の頼れる助っ人が2ランを、
4番の神崎さんが3ランを、
3番の「九州のイチロー」が3ランをしかも2本を打ったって……!
そして球団創設以来、1度も勝てなかった超苦手の西武帆足投手を5回途中にKOしたって、
満員のKスタで、14-5の胸のすくよな勝利を収めたって、
ほ ん と う で す か……!!?
今夜Kスタに行ったイーグルスファンは、マジで勝ち組だわ~!!
……そして過去最高の試合をまたもリアルタイムでTV観戦できずに、
実況を文字で追ってた私はマジ負け組……orz
ぜったい「skyAベストゲーム」で再放送を永久保存版録画してやるぅう~><!
でもいいのっ! サイッコーの勝利でCS行きを決めたから!!
あ、楽天野球団さんから今メール来た。
タイトル「CS出場決定!」だって。
嗚呼、涙で霞んでよく見えないよ、ママン……(T-T)
いやっほ~~~~♪♪
◆ウイニングボールを見せるノムさんの写真(サンスポ10月3日付)
◆球団初! お立ち台立った10人のヒーロー達の写真(サンスポ10月3日付)
この記事を読んで、今までの5年間(私は応援し始めて3年間)を思い出し、しみじみと感慨に耽りました。
引用しておきます。
◆楽天悲願CS!ノムさん死んでもいい!?(スポニチ10月4日付)
産声を上げてから実に1796日後の歓喜だった。
球界再編で楽天球団が正式に誕生したのは04年11月2日。
50年ぶりに生まれた新規参入球団は、わずか5年で悲願のAクラス入りを決めた。
発足当初のメンバーは、オリックスと近鉄が合併した際の分配ドラフトで、
合併球団側のプロテクトから漏れた選手が中心。
戦力は明らかに見劣りし、年齢層も高かった。
その中、オリックスから山崎武、ヤクルトから飯田ら他球団の戦力外選手を無償トレードなどでかき集めた。
「寄せ集め集団」で臨んだ1年目。
38勝97敗1分けで、首位と51・5ゲーム差の最下位だった。
その翌年から指揮を執ったのが野村監督だった。
過去に南海、ヤクルト、阪神でも監督を務めたが、就任当時はいずれも弱小チーム。
「最下位ばかりに縁がある。よその球団の人から“監督、よくこの戦力で戦ってますね”ってよういわれるんや」。
今でもそうボヤく一方で、入団した選手には「いい球団に来たよ」と言った。
大学生・社会人出身に限れば、昨季までに獲得した全員が1軍の舞台を踏んだ。
平等に才能を発揮する場を与えられたのは新興球団ならではの環境で、
中日で出場わずか52試合だった鉄平が首位打者争いを快走。
中村真、内村といった育成選手が戦力に成長を遂げた。
走攻守がそろわなくても、一芸に秀でた選手を適材適所に配置し、勝利を積み重ねた。
時には人格攻撃に及ぶこともあった歯にきぬ着せぬ発言。
快く思わない選手も当然いたが、ある球団関係者は
「他球団から不要とされた選手らは、周りの様子をうかがってばかりだった。
辛口発言への反発心が、チームのまとまりを呼んだ」と指摘する。
3年の任期を満了した昨年、契約を1年更新した。
「おまけをもらった。集大成のシーズン」と位置づけた就任4年目の悲願達成。
74歳の年に74勝でCS進出が決まり、
「何かあるのかな。不思議だな。エルニーニョ。ノムニーニョか」とおどけた。
「熱心な仙台ファンのために、1試合でも多く野球がしたい。それが唯一の恩返しだから」。
1954年の南海入団から半世紀あまり。
弱者を育て、強者を倒す。
野村監督が、野球人生の最終章でその生きざまを体現する。
過去5年間で楽天を去っていった選手達を思い出し、万感迫るものがあります。
「寄せ集め集団」「お荷物球団」と言われながら頑張ってきたおじさん達。
高卒・大卒ですぐプロ入りできずに、社会人野球や育成選手として頑張ってきた人達。
走攻守揃ったスタープレーヤーがいなくったって、
チーム内での自分の役割を知り、頭を使って考えて野球をすれば、
ゼロからのスタートでもたった5年という短期間で、CS出場まで勝ち取れるんだ、と。
まるで漫画や映画みたいなドラマティックなストーリーを、現実で見せてくれて。
勇気と感動をもらいました。
東北楽天ゴールデンイーグルスの皆さん、ほんとうにありがとうございます!
5番の天才打者がソロホームランを、
6番の途中加入の頼れる助っ人が2ランを、
4番の神崎さんが3ランを、
3番の「九州のイチロー」が3ランをしかも2本を打ったって……!
そして球団創設以来、1度も勝てなかった超苦手の西武帆足投手を5回途中にKOしたって、
満員のKスタで、14-5の胸のすくよな勝利を収めたって、
ほ ん と う で す か……!!?
今夜Kスタに行ったイーグルスファンは、マジで勝ち組だわ~!!
……そして過去最高の試合をまたもリアルタイムでTV観戦できずに、
実況を文字で追ってた私はマジ負け組……orz
ぜったい「skyAベストゲーム」で再放送を永久保存版録画してやるぅう~><!
でもいいのっ! サイッコーの勝利でCS行きを決めたから!!
あ、楽天野球団さんから今メール来た。
タイトル「CS出場決定!」だって。
嗚呼、涙で霞んでよく見えないよ、ママン……(T-T)
いやっほ~~~~♪♪
◆ウイニングボールを見せるノムさんの写真(サンスポ10月3日付)
◆球団初! お立ち台立った10人のヒーロー達の写真(サンスポ10月3日付)
この記事を読んで、今までの5年間(私は応援し始めて3年間)を思い出し、しみじみと感慨に耽りました。
引用しておきます。
◆楽天悲願CS!ノムさん死んでもいい!?(スポニチ10月4日付)
産声を上げてから実に1796日後の歓喜だった。
球界再編で楽天球団が正式に誕生したのは04年11月2日。
50年ぶりに生まれた新規参入球団は、わずか5年で悲願のAクラス入りを決めた。
発足当初のメンバーは、オリックスと近鉄が合併した際の分配ドラフトで、
合併球団側のプロテクトから漏れた選手が中心。
戦力は明らかに見劣りし、年齢層も高かった。
その中、オリックスから山崎武、ヤクルトから飯田ら他球団の戦力外選手を無償トレードなどでかき集めた。
「寄せ集め集団」で臨んだ1年目。
38勝97敗1分けで、首位と51・5ゲーム差の最下位だった。
その翌年から指揮を執ったのが野村監督だった。
過去に南海、ヤクルト、阪神でも監督を務めたが、就任当時はいずれも弱小チーム。
「最下位ばかりに縁がある。よその球団の人から“監督、よくこの戦力で戦ってますね”ってよういわれるんや」。
今でもそうボヤく一方で、入団した選手には「いい球団に来たよ」と言った。
大学生・社会人出身に限れば、昨季までに獲得した全員が1軍の舞台を踏んだ。
平等に才能を発揮する場を与えられたのは新興球団ならではの環境で、
中日で出場わずか52試合だった鉄平が首位打者争いを快走。
中村真、内村といった育成選手が戦力に成長を遂げた。
走攻守がそろわなくても、一芸に秀でた選手を適材適所に配置し、勝利を積み重ねた。
時には人格攻撃に及ぶこともあった歯にきぬ着せぬ発言。
快く思わない選手も当然いたが、ある球団関係者は
「他球団から不要とされた選手らは、周りの様子をうかがってばかりだった。
辛口発言への反発心が、チームのまとまりを呼んだ」と指摘する。
3年の任期を満了した昨年、契約を1年更新した。
「おまけをもらった。集大成のシーズン」と位置づけた就任4年目の悲願達成。
74歳の年に74勝でCS進出が決まり、
「何かあるのかな。不思議だな。エルニーニョ。ノムニーニョか」とおどけた。
「熱心な仙台ファンのために、1試合でも多く野球がしたい。それが唯一の恩返しだから」。
1954年の南海入団から半世紀あまり。
弱者を育て、強者を倒す。
野村監督が、野球人生の最終章でその生きざまを体現する。
過去5年間で楽天を去っていった選手達を思い出し、万感迫るものがあります。
「寄せ集め集団」「お荷物球団」と言われながら頑張ってきたおじさん達。
高卒・大卒ですぐプロ入りできずに、社会人野球や育成選手として頑張ってきた人達。
走攻守揃ったスタープレーヤーがいなくったって、
チーム内での自分の役割を知り、頭を使って考えて野球をすれば、
ゼロからのスタートでもたった5年という短期間で、CS出場まで勝ち取れるんだ、と。
まるで漫画や映画みたいなドラマティックなストーリーを、現実で見せてくれて。
勇気と感動をもらいました。
東北楽天ゴールデンイーグルスの皆さん、ほんとうにありがとうございます!
- 関連記事