NHK教育TVで朝9時から放映していたアニメ映画「対馬丸―さようなら沖縄」を見ました。

沖縄決戦の直前、多くの疎開児童を乗せた対馬丸が米軍潜水艦に撃沈され、ほとんど全員が死亡した。史実に基づくアニメ映画。(TVBros.より引用)

今日は終戦記念日。毎年戦争をテーマにしたアニメ映画などがTVで放映されますね。
今朝、TVをつけていて偶然見たこの映画、
後半は泣きっぱなしでした。


(※以下ネタバレあり)



そもそも私は、戦争と子供を扱ったアニメーションには無条件で涙腺が弱いです。
抑圧された戦時下の環境の中で、明るくたくましく生きている子供達の無邪気さ。
一転して戦禍に巻き込まれ、幼い心と体に深い傷を遺す過酷な状況に投げ出され……。
子供向けの単純明快なストーリーであるがゆえに「戦争はいけない」という強いメッセージが殊更胸に迫ります。
これがたった六十数年前にこの国で実際に起こった史実であるということが、なお一層重みを増すのでしょう。

学童疎開船・対馬丸は乗客1661名。そのほとんどは学童(小学生)、幼児、女性、老人といった一般人だったとか。
それが、敵潜水艦の魚雷3発により、たった11分で沈没。
生存者はわずか156名。
学童に限って見れば、754名が死に、生き残ったのは59名のみだったそうです。

この映画に登場する学童・清も、沖縄の青い海で親友2人とのびのびと遊び、少年航空兵や陸軍士官学校に憧れ、親友達と一緒の本土疎開に「修学旅行のようだ」とはしゃいでいました。
それが沈没のさなか親友2人の死を目の当りにし、数日間のいかだ漂流で酷暑の昼と極寒の夜を睡魔と空腹に苛まれ、ようやく救助されても「沈没を口外したら射殺だ」と士官に脅され、やっと帰り着いた沖縄でも口を閉ざし重い秘密を抱えて暮す……。
わずか10歳程の小さな身には、あまりに過酷すぎる体験です(T T)。
那覇の空襲で父が自分を庇って死に、母と辛うじて煉獄をくぐり墓地に逃れ辿り着いた後。
「対馬丸は沈んだんだ。ボク何も話せなくて辛かった……」と涙ながらに母に告白する姿は、沈没や空爆の直接的な描写より、なお辛く胸を衝きました。

幼くしてこんな体験をしてしまうなんて、トラウマどころじゃないですよ。
しかも、現在60代後半以降の日本人には、こういった記憶を抱えておられる方がたくさんいるという事実。
例えば、何気なく道ですれ違うお年寄もまた、この「清くん」だったのかもしれないんですよ?
改めて思います。お年寄は大切にしないと!

今回この映画を見て、かつてとは違った視点からも見ている自分に気づきました。
自分が大人になったせいか、子供を疎開に送り出した親、教師達の気持ちが非常に胸に迫りました。

「子供一人で本土にやるなんて」と逡巡しながらも子供の身の安全のために別れの寂しさを堪えて疎開に送り出した親達。
対馬丸が撃沈されたと知り、疎開に出さなければ良かった……!と、どれほど悔やみ自分を責め、悲しんだことか。

また、映画の中では対馬丸の引率教師の妻子も乗船していました。
撃沈後、辛うじていかだに逃れた教師とその妻子ですが、酷暑と極寒を繰り返す海上を数日間漂流する間に、母親の腕の中で幼子は凍死してしまいます。
自分の腕の中に抱いた我が子が目の前で死んでいくのに何一つしてやることができない親。
母が子の名前を何度も呼び叫ぶ声が私の耳を刺しました。
きっと気も狂わんばかりの苦痛でしょう。

そして、我が子と無数の教え子の無残な死を見届けた後も、なお「お国のためになるよう子供を教育する。それが自分の信念だ!」と揺ぎない瞳で語る引率教師。
それは彼の本心であり、恐らく純粋で真面目な人だったのでしょう。
この時代の価値観や正義が「お国のため」であったのだから。
時代が変われば価値観や正義も移ろっていきます。
今の私たちから見れば「なぜそんな盲目的な……」と感じることも、当時の多くの人にとっては疑う余地もなかった、あるいは異義を唱えられない世の中だったのでしょう。

それにしても、女子供老人などの社会的弱者が戦争で犠牲になりやすいのは本当に痛ましく切ないです。
もちろん戦っている兵士にも犠牲になって欲しくない。
イスラエルとヒズボラの戦争をはじめ、今も世界に紛争は絶えませんが、戦争がなくなって欲しいと切実に思います。

平和ってタダじゃないんだな。先人の犠牲の上に今の平和は築かれているんだな。
そんなふうに改めて身につまされたアニメ映画でした。
見て良かった。
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