2008-05-18dandelion.jpg



ブログのWEB拍手が延べ100拍手に達しました。
拍手を下さった皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
徒然に書き散らかしているブログですが、何か1つでもお気に召していただけて
ポチリと拍手を押していただけると、書いている身としては
とてもとても嬉しく、励みになるものなんですね。
これからも相変わらずノータリンな文章を書き綴るかと思いますが、
もしあなたの心の琴線に触れるものがあれば、拍手でリアクションいただけると幸甚です。



さて、以前、「阿部くんの涙」という考察で、阿部くんを心理学的(もどき)に分析・考察してみました。
今日は、三橋くんについて考察してみたいと思います。

(※原則として、私の手元にある資料=「おおきく振りかぶって」原作全9巻を参考にしています。
最後だけ、アフタヌーン連載の単行本未掲載分も含みますので、未読の方はご注意ください。)




人間の感情は「喜怒哀楽」と言われますが、三橋くんの場合は極端です。



まず、天然で素直な性格なので、
「喜」あるいは「楽」については素直に表れることが多いようです。
基本的に、食べている時はいつも幸せそうなんで、ここではあえて除外して(笑)、
それ以外に、嬉しそうなのは、
●小学生の頃、浜ちゃん達、または修ちゃん達と野球をしている時
●高校以降は、野球部の仲間と歓談している時(チームやクラスや三橋家で)
「ナイピッチ!」とチームメイトに褒められた時
そして何より、
阿部くんに「頼むぞ!」と言われた時(桐青戦5回裏の後(原作6巻P.184)と7回裏の前(6巻P.232))
びびびびっと震えるほど感激(?)して、「うんっ!」と元気よく返事をしています。

「喜」「楽」と関連して、三橋くんの望み=三橋くんが「~したい」と、口にしたり心で思った主なセリフを挙げてみます。
「投げたい」
「勝ちたい」
「勝って、また気持ち良さを味わいたい」
「ホントのエースになりたい」
「遅いままじゃイヤだ、速い球投げたい」

すごく単純で、純粋で、投手であれば誰もが根源的に持っている望みばかりです。

次に、「怒」ですが、まったく見られません。
阿部くんも、桐青戦翌日に三橋家へ行った時(原作8巻P.183)、
「こいつが誰かを嫌うことって全然ないんだよ」
と思っていましたが、誰かに怒りを抱く、という感情が欠落している(?)ようです。

最も目につくのは「哀」
他者に対して怒りを抱かない分、ネガティブな現象が発生すると、
「オレのせいで」「オレがダメだから」とそのほとんどの原因は自分だ、と考えているようです。
極端な自己卑下、自己の過小評価をしています。
そのため、思いつめて悲しい涙を流していることが多いです。

「哀」と関連して、三橋くんのセリフや心情吐露でよく出てくるのは
「~したくない」という三橋くんの恐れを表わす言葉です。
「阿部君に嫌われるのが怖い、サイン出してもらえなくなったら……」
「オレが打たれたら(味方の応援の)みんながっかりする」
「オレのせいで、チームが負ける。打たれるのが怖い。でもマウンド降りたくない」

非常に強い、強迫観念にも似た恐怖です。



ところで、突然話は変わりますが。

かの有名な漫画「ドラえもん」の中に、「石ころぼうし」というひみつ道具があります。
(ホントに唐突だなオイ・苦笑)

この帽子を被ると、姿は見えるものの周りから一切認識されなくなる。
Wikipedia「石ころぼうし」より引用)

ちっちゃい頃に漫画本を読んだっきりなんで、記憶はかなり曖昧ですが。
のび太はママに小言を言われて腹を立て、誰からも注意されない道具を出してくれ、とドラえもんに頼みます。
そこでドラえもんが取り出したのが、この「石ころぼうし」。
これを被った途端、望み通りにのび太の姿は誰の目にも止まらなくなり、声も聞かれなくなり、喜んで自由を満喫します。
しかし、誰からもまったく顧みられない、まさに「路傍の石」状態に不都合と不安を感じ始め、帽子を脱ごうとします。
ところが、きつい帽子だったので、自分の力では脱げない。
このまま誰にも気づいてもらえずに一生過ごすのか……! と愕然とし、大泣きしますが、
結局最後は帽子が水分でふやけて脱げ、のび太はドラえもんにしがみついて「よかった~!!」と大号泣。
短編「石ころぼうし」は、こんな話だったと思います。

すんごい昔の幽かな記憶なのに、なぜかインパクトが強く、私の心の片隅に残っていたお話です。
(これ以外に、なぜか忘れられないドラえもんの道具は「暗記パン」と「ほんやくこんにゃく」w)

自分が何をしていようと、誰からも関心を払ってもらえない。
誰に話しかけても、返事を返してもらえない、振り向いてもらえない。
誰からも、存在を認めてもらえない。
誰からも、「キミは必要な人だよ」と扱ってもらえない。
誰からも、お前なんか居なくてもいいと、無言の態度で示される。
世界中に味方もなく、たった一人。

……おっそろしい恐怖です。
想像しただけで、背筋が凍るような気がします。



さて、おお振りの話に戻ります。

原作9巻で栄口くんが、「三橋がマウンドにこだわる理由」を自分なりに想像していました。
「中学時代、三橋はたぶん
あからさまにイジメられるってより、徹底的に無視されてたんじゃないかな
そこに三橋が居ないみたいに振るまわれて、透明人間みたいな気分になって
だけど、マウンドでは、ピッチャーが投げなきゃ始まらない
マウンドに立っている間は、自分がそこに確実に居るわけだ


そして、栄口くんはそんな状況を想像して怖くなり、思わず身震いします。
「マウンド譲ったら、自分が居なくなっちゃうんだ
いろんな矛盾とか自己否定とかでガンジガラメになって
まっくろなダンゴみたいになっても
中学の三橋はマウンドを手放せなかった」


こんなふうに人の気持ちを思いやり、共感できるところが栄口くんらしい。
だから栄口くん、大好きですv
最後に、「マウンド降りても居るトコあるって思えたんならよかったな」とホッとするところも大好き。

このシーン、作者のひぐち先生は、栄口くんの想像として語らせていますが、
たぶん、その通りの過去、という設定でしょう。

三星学園との試合の後、三橋くんは中学時のチームメイト達に言いました。
「オレはずっと、みんなと"野球"したかったんだ」

三橋くんは「マウンド独占欲」、「投球中毒」というよりも、
自分のアイデンティティ(居場所)をかけたギリギリに追い詰められた状態だったと私は思います。



先日の考察「阿部くんの涙」では、「自己実現理論」「マズローの欲求段階説」という理論を挙げました。
もう一度、Wikipediaの抜粋を載せておきます↓。

人間の基本的欲求をピラミッド型の5段階に分類した理論。

1.生理的欲求 :生命維持のための食欲・性欲・睡眠欲等の本能的・根源的な欲求
2.安全の欲求 :衣類・住居など、安定・安全な状態を得ようとする欲求
3.親和(所属愛)の欲求 :他人と関わりたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求
4.自我(自尊)の欲求 :集団から価値ある存在と認められたい、尊敬されたい認知欲求(承認欲求
5.自己実現の欲求 :自分の能力・可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたい欲求

「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きもの」なので、下位の欲求が充足される事により、上位の階層へ移行していく。



私は、阿部くんの心理を
>「4.自我(自尊)の欲求、承認欲求」が非常に強い状態
じゃないか、と考えました。そして、
>「頑張っているのに認めてもらえなかった」三橋くんに今までの自分の姿を重ね
つまり三橋くんを自分と「同一化(同一視)」していて
>三橋くんが価値ある存在と認められ、褒められることで、阿部くん自身も追体験して
>満たされなかった「褒められたい」欲求を満たすことができる、
>「認めて欲しい」「褒めて欲しい」欲求を、自分の分まで含めて満たしてやりたい

のではないか、と考察しました。


では、三橋くんも阿部くんのような「認めて欲しい」「褒めて欲しい」
=自我の欲求、承認欲求を抱えているのでしょうか?

実は、それ以前の段階、つまり
三橋くんは「3.親和(所属愛)の欲求、集団帰属の欲求」が非常に強い状態、じゃないかと思います。

「他人と関わりたい」
「集団(=チーム)に属したい」
「仲間として受け入れて欲しい」
「仲間の役に立ちたい」
「居場所が欲しい」

この「マズローの欲求段階説」では、下位欲求が満たされないと、その上の段階の欲求は生まれません。
つまり、身の安全や衣食住(1~2)は心配なく満たされていても、
3.「誰かと関わりたい、仲間になりたい、居場所が欲しい」という欲求が満たされなければ、
4.「他人に尊敬されたい、認められたい」→ 5.「自分の可能性を発揮し、成長したい」という欲求が生じる余裕がない、ということです。

但し、3と4の欲求は必ずしも上下関係ではなく渾然一体と同時並行的に発生することもあるらしいので、
「褒められて嬉しい。ウヒ」という承認欲求も時折交じっていそうですね。
Wikipedia「承認欲求」を参考にすると、阿部くんと三橋くんはそれぞれ以下に当てはまりそうです。

●阿部:「上位承認」
 自分が他人よりも優位な関係で認められたいという欲求

●三橋:「自己承認」が困難な状態
 劣等感が強く、情緒不安定で、今の自分に満足している・理想の自己像と重なると思えない状態。
あるいは、「対等承認」
 他人と自分の関係が平等であることを望む欲求。「人並みに認められたい」と考える劣等感の持ち主にしばしば見られる欲求。

二人はやっぱり求めるものの段階が違っていそうな気がします。
それに、三橋くんの場合は「オレの実力・努力を認めてくれ。褒めてくれ」という欲求より、それ以前に、
冒頭の喜怒哀楽を振り返ってみると、
「仲間として認めてもらえて嬉しい」
「頼んだぞ! と仲間の一員として役割を与えられ期待されるのが嬉しい」
「仲間の役に立つ(=勝てる)ピッチャーになりたい」
「無視される(=阿部にサインをもらえない)のが怖い」
「仲間の期待を裏切り、がっかりさせるのが怖い」

というふうに、やはり喜怒哀楽と価値基準の根源に強力な集団帰属の欲求があるように思われます。

他の誰でもいい、代わりはいくらでもいるモノではなくて、
あなたは仲間として欠かせない、この世界で唯一の、価値ある存在だ、と受け入れて欲しいのだと思います。



これだけ自尊感情(自分自身が愛すべき価値ある人間だと思うこと)が持てないと、
幼少期に親の愛に飢えていたのかも……? と心配されるところですが、
三橋家に関してはそれはまったく心配なさそうですね。
一家3人、とても仲が好さそうだし、父親も母親も息子をすごく愛しているし。

ただ、生来の人見知りで引っ込み思案な性格に加えて、
一人っ子は兄弟に揉まれないから、他人との距離の取り方、関わり方で不慣れな面があり、
相手から働きかけられるのを待つ、受身のコミュニケーションになりがち、と言われますよね。
(もちろん、全ての一人っ子がそうだ、と言っている訳ではないですよ。)

それと、多感な中学時代に親元を離れて、親戚とはいえ恐らくはかつて父母の結婚に反対した祖父の元で同居して、
悩みや甘えもあまり表に出せず、中学時の人間関係の苦悩は相当深かっただろうな。
やっぱ10代、とくに10代前半って人格形成に大きな影響を及ぼすんだなぁ、なんて思ったり。


最後に、三橋くんと阿部くんの関係について。

「逆らう気なんかないんだ。阿部君のリードがなきゃ、オレは、1つのアウトも取れないんだから」
「阿部君が捕ってくれなかったらオレはただのダメピーに、また、役に立たない、投手…に、なっちゃう」
「オレは阿部君と、ちゃんとバッテリーになるぞ。阿部君には、オレが投げるんだ!」


いわば盲目的な崇拝です。
阿部くんがいれば、オレは役に立つ投手になれる。
阿部くんに嫌われたら、勝てない。仲間の役に立てない。居場所がなくなる。
そんな極端な思考回路になっていたのでしょう。

その関係は、少しずつ変化してきました。

中学時代は仲間に嫌われ無視され、悩みや甘えを受け止める存在も近くにおらず、
居場所(マウンド)にしがみついて、必死に自分の存在を保っていた。

西浦高校に入って、阿部くんに努力を認められ、一人の人間として存在を認めて「好きだ」と言ってもらえて、
西浦のみんなにも仲間として受け入れられた。
それでも、自己否定と集団帰属の欲求は強力な呪縛で、マウンドを降りたら居場所がなくなる、と深層心理で緊張し、恐怖していた。

桐青戦の翌日、家にカレーを食べに来た西浦野球部員達と話をして、
(こんなに嬉しいのが、ふつうなのか……)と思えるように、
そして、栄口くんの言葉を借りれば
「マウンド降りても居るトコある」と安心できるようになった。

そして、美丞大狭山戦で阿部くんとの関係を見つめ直し、
「エースになりたい」「オレを頼ってくれ!」と言うことができた。
三橋くんは、ようやく1段階上って、所属欲求から承認欲求の段階に入ったのかもしれません。

阿部くんも三橋くんも、満たされなかった「自分の欲求」が欲しくて欲しくて手いっぱいで、
実は今まで、あまり相手や周囲の気持ちを思いやる余裕はなかったように思います。
それが、ようやく相手の気持ち、相手の立場を考えて、一緒に力を合わせよう! という段階になった。
二人の関係にはこの先もまだいろいろな紆余曲折があるんでしょうけれど、
これからの二人の精神的成長、どうなっていくのかますます楽しみです。



……ここまで長ったらしい駄文にお付き合いいただき、ありがとうございましたm(_ _)m
個人的な偏見と思いこみで書かれた考察なので、考えの足りないところも多く、
ツッコミどころ満載、「それは違うんでない?」とご不快に思われる箇所もあろうかと思いますが、どうぞご容赦ください。
できれば、これを読まれたあなたのご意見、異論・反論、「三橋廉論」をお聞かせください!
関連記事