2月11日未明、お風呂場で倒れ、午前3時半に旅立たれました。
虚血性心不全だそうです。84歳。
かなしくて、かなしくて、かなしくて、涙が何度も流れています。
2017年12月8日に、愛妻サッチーさんが虚血性心不全で突然亡くなって。
翌年1月25日のサッチーお別れの会では、
「これから先、どうして生きていけばいいんだろう。いい奥さんでした」
とポロポロ大粒の涙を流す、小さくなったおじいちゃんの姿が、
胸が痛くなるほど切なかったっけ……。
◆ノムさん涙「ありがとう」サッチー 「いなくなって色んなことを感じています」(スポーツ報知2018年1月26日)
◆野村克則氏、父・克也氏を心配「まだまだこれから。もっともっと野球界に貢献して」(スポーツ報知1月26日)
◆サッチーは悪妻だったのか?人生の窮地に立った野村克也氏を救った言葉とは(THE PAGE 2018年1月26日)
その後も、テレビ番組に出演しては、
「男の弱さを痛感してるよ。女房をなくすとだめになる」
「俺も早くあっちに逝きたいよ」
などと気弱なことをボヤいてみたり、涙したり。
すっかり気落ちして老いた姿が痛々しかった……。
お歳もお歳だし、この先10年、15年後にはノムさんも鬼籍に入られるかもしれないけれど、
想像するだけで喪失感で胸が苦しくなっちゃう。
……なんて要らぬ心配をしていたほど。
それでも、野球が絡めばノムさんの眼には光が宿り、
相変わらずの舌鋒鋭い解説と軽妙なボヤキ。
ノムさんにはこれからも日本球界を導いてもらわないと!
野球に関わっていくことで元気を維持してもらえれば、と思っていました。
今年1月20日には「徹子の部屋」の番組収録して。
同日、ヤクルトのOB会総会に出席して、
「私に用事ないですか?高津監督。ヘッドコーチ。喜んでやりますよ」
と壇上でご挨拶したり。
1月21日には金田正一さんのお別れの会に参列して、
長嶋茂雄さんと
「おい、頑張ってるか。オレはまだ生きるぞ。まだ頑張るぞ」
と語り合ったり。
1月26日には社会人野球のシダックス野球部(2006年廃部)のOB会に出席して、
「子どもの指導者になっている人が多い。教えを引き継いでくれる人がいて嬉しい」
と仰ったり。
ご健在な様子を報道で目にしていたのに……。
◆野村克也さん死去 先月20日ヤクルトOB会では“ノムさん節”健在 金田正一氏お別れの会にも姿(スポニチ2月11日)
ノムさんの野球界における功績は、さまざま報道されていますが、
ざっくり概要だけ書いても、下記のとおり他の追随を許さぬ輝かしいもの。
現役生活27年、南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズでプレーし、
戦後初の三冠王、MVP5回、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、
11970打席、10472打数、113犠打、1シーズン52本塁打、ベストナイン19回(いずれも歴代1位)、
出場3017試合、2901安打、657本塁打、1988打点(いずれも歴代2位)。
南海、ヤクルト、阪神、楽天の監督を歴任し、
通算3,206試合(歴代3位)、1566勝1564敗76分、
日本一3回、リーグ優勝5回。
Bクラスの弱小チームを率いて、のちに優勝する基礎を築いた手腕。
クイックモーション、投手分業制の確立、野村スコープ、ID野球、
野村再生工場、弱者の兵法、など、
正直言って私は、ノムさんは日本野球界において、
彼ほど新しい考え方や戦略を構築した人はいない、唯一無二の、
最も偉大で重要な足跡を残した人ではないかと(贔屓目も入れて)思っています。
◆3歳で父他界、小3で新聞配達/ノムさん激動84年(日刊スポーツ2月11日)
◆野村スコープ、ID野球、野村再生工場…。野球界に成したあまりにも偉大な貢献――野村克也氏の死を悼む(THE DIGEST2月11日)
◆野村克也が捕手として打ち立てた打撃記録はどれだけすごいのか?(週刊ベースボールオンライン2月13日)
野球界はもとより、各界からたくさんの追悼コメントが出ていましたが、
東北楽天ゴールデンイーグルスのファンである私としては、
当時のイーグルスOB達のコメントが涙なしでは読めなかった……。一部抜粋。
◆追悼。元参謀が語るノムラ野球の真実「実はID野球という言葉が嫌いで監督のいらないチームが理想だった」(THE PAGE2月12日)
◆橋上秀樹氏「常に感謝していた方」野村さん悼む(日刊スポーツ2月11日)
◆池山2軍監督が涙「幸せだった」/野村氏弔問まとめ(日刊スポーツ2月12日)
◆山崎武司氏 野村克也さんを悼む「ぶつかっていったら受け止めてくれた」(デイリースポーツ2月11日)
◆【オリックス】佐竹コーチ「失敗と書いて、せいちょうと読む」野球観変わった野村監督への師事(スポーツ報知2月11日)
◆山村宏樹氏「ノムラの考え」後世につなげていく…恩師・野村克也さん悼む(スポーツ報知2月12日)
◆【楽天】鉄平打撃コーチ、野村克也氏に感謝「表現しきれないぐらいの恩人」(スポーツ報知2月11日)
◆ソフトバンク平石コーチ「自分のベース」野村氏悼む(日刊スポーツ2月11日)
◆巨人・岩隈 楽天時代の恩師・野村克也氏を悼む「野球の深いところを教えていただいた」(スポニチ2月11日)
◆ノムさん「俳優になれ」毒舌洗礼の楽天青山が感謝(日刊スポーツ2月11日)
◆野村氏がドラフト指名、楽天渡辺直人「恩師です」(日刊スポーツ2月11日)
◆田中、一場、永井ら…野村克也さんに“最後の教え”受けた楽天戦士「出会いは財産」(Full-Count2月11日)
◆ヤクルト嶋「『お前も優勝チームの名捕手に』が支えだった」 野村克也さん悼む(毎日新聞2月11日)
◆ノムさんが東北に野球文化確立、ボヤキで楽天愛生む(日刊スポーツ2月12日)
◆野村克也氏逝去に東北で広がる悲しみ。「弱者の兵法」を駆使して再び歓喜を(週刊ベースボールオンライン2月13日)
そして、長嶋茂雄巨人終身名誉監督からのコメント。
◆長嶋茂雄さん「ノムさん、底知れぬ野球愛は永遠に」(朝日新聞デジタル2月11日)また大切な野球人を失ってしまった。
しかし、ノムさんが残した偉大な功績と野球への底知れぬ愛は、これからも永遠に生き続けるはずだ。
今後は天国からしっかりと、野球界を見守って欲しい。
王貞治ソフトバンクホークス球団会長からのコメント。
◆王貞治氏「尊敬」野村氏を本塁打で抜いた場面を回顧(日刊スポーツ2月11日)野球界の変化を見たかっただろうと思う。
特に今年は五輪があるし。
頭脳をプラスして自分の持ってるものを生かそうとしていた。
今の野球も野村野球がずいぶん浸透して伝わっている。
これからも野村イズムは生きていくでしょう。
東京オリンピックでの侍ジャパンの試合を解説して、
ボヤいてほしかったし、金メダルを喜んでほしかったなぁ。
最後に、マー君こと田中将大投手の公式コメント。
突然の訃報に言葉が出ません。
野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。
プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。
どんなに感謝してもしきれません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
マー君にとって、野村監督との一番心に残っている思い出は、
◆マー君、野村克也さんの思い出「アウトコース低めに真っすぐ8球続けて狙って投げた」(サンスポ2月13日)あげたら本当にきりはありませんけど、
特に2013年、直接監督と選手として接しているときではなかったですけど、
リーグ優勝を決めた西武戦、最後アウトコース低めに真っすぐ8球続けて狙って投げたっていうのは
野村監督に教えこまれた、『困ったときに原点、バッターのアウトコースに低めに投げられるように』と
そこをずっと口酸っぱく教えていただいたことがやっぱり、本当にピンチの時にその言葉がふと降りてきて、
それを自分でこう体現することができたというのは
自分の中でもすごく大きな出来事だったなという風に思っています
嗚呼、あの日の8連続低め外角直球は、私も鮮明に思い出せます。
今でも鳥肌が立つような素晴らしいピッチングだった……。
思えば、私がノムさんの野球の奥深さに触れるきっかけとなったのは、
マー君の楽天イーグルス入団でした。
野球が大っきらいだった女が、
楽天イーグルスの勝ったり負けたりの1年間を毎日ワクワクしながら応援し、
毎試合、野村監督のボヤキを聞いて、
負けの留飲を下げたり、勝った喜びを噛み締めたりしながら、野球のイロハを知って。
ただそれだけで、どれほど野球について深く教えていただけたことか。
このブログ内で「ノムさん」と書かれた記事を検索してみると、
その2006年11月20日から始まって、実に162件もの記事がヒットします。
如何に私がノムさんの言葉に注目し、惹きつけられていたか、その証左ですね。
ノムさんがテレビや雑誌で語っていた「これからの夢」は、いろいろありました。
「日本代表の監督をやりたい」
「メジャーリーグの日本人初の監督をやってみたい」
「息子のカツノリがプロ野球球団の監督をやってるところを見たい」
「球場で胴上げされて、下ろしたら死んでいた、というのが夢」
なんていう半分リップサービス半分本気の夢も様々ありましたが、
「高校野球の監督をやりたい」
◆【ノムさん追悼】監督人生の心残り「甲子園優勝」の夢 10年前本気で語っていた思い(東スポ2月12日)
このノムさんの夢、実は私、本気で期待して、本気でこの目で見てみたかった。
プロ野球4球団に、社会人、リトルシニアの監督も経験済みのノムさん。
(ヤクルトの監督に就任する前に、サッチーがオーナーで息子の克則さんも所属していた
中学硬式野球「港東ムース」の指導をしていました)
元プロ野球関係者が高校野球の監督をやるには制約があるんですが、
「あとはノムさんに学生野球資格回復研修を受けてもらって、
高校野球……できれば母校の京都・峰山高の監督をやってもらって、
甲子園のベンチに座ってボヤいているところを見たい!」
私は本気でそう思って期待していたのに。
残念でなりません。
ノムさんのプロ野球監督として最後の試合、
2009年10月24日、札幌ドームで行われたCS第2ステージ第4戦の日、
札幌ドームで楽天と日ハム両チームから胴上げをされた直後の取材で、
ノムさんはこう語っていました。
「人間何を残すか。人を残すのが一番。少しくらいは野球界に貢献できたかな」
◆「人間何を残すか。人を残すのが一番」野村監督一問一答(朝日新聞デジタル2009年10月24日)
「財を遺すは下、
仕事を遺すは中、
人を遺すは上なり」
そう常々仰っていたノムさん。
まさにノムさんは「上」の人生をまっとうされたのだなと感服します。
この当日のブログに私はこう綴っていました。
>毒舌家で辛辣で悲観的で、照れ屋でお茶目でサービス精神旺盛なノムさんは、
>私にとって人間的な魅力に溢れる、興味の尽きない人です。
>ノムさんは強烈な個性を持った方なので、人によって評価は違うでしょうけれど、
>これだけは、誰もが共通する意見ではないでしょうか?
>「野村克也は、野球が好きで好きで堪らない人だ」
>野球が好きで好きで堪らないお爺ちゃんに、もっと野球を続けさせてあげたかったなぁ、と。
>ノムさんの野球がもう見られないのが残念でなりません。
>ノムさん、本当にお疲れさまでした。
>ノムさんの采配する試合を見て、ボヤキを聞いて、野球が大好きになりました。
>野球の面白さを教えていただき、どうもありがとうございました。
>ノムさんは現場にあってこそ生き生きとすると思うので。
>万が一この先チャンスがあれば、どこかのチームを率いる現場監督としてぜひ復帰してください!
10年経った今も、同じ気持ちです。
そして、ノムさんの訃報に際し、私が捧げたい言葉は、
マー君とほとんど一言一句同じです。
突然の訃報に言葉が出ません。
ノムさんには、野球とは何かを一から教えていただきました。
野球ファン一年目でノムさんの野球と出会い、テレビやニュースを通じてご指導いただいたことは、
私の野球ファン人生における最大の幸運のひとつです。
どんなに感謝してもしきれません。
心よりご冥福をお祈りいたします。
これからも日本野球界を見守っていてください。
サッチーさんとお幸せに。
ほんとうにありがとうございました。
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