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今年初めての花火を見ました。

ガラケーのカメラ性能と、私の撮影技術との相乗効果で、
なんだか淋しげで残念な写真になっちゃいましたが、
冬の凛と冷たく澄んだ空に、色彩豊かな花火が鮮やかに映えて、
とても綺麗でした。
鼻の頭を赤くして白い息を吐きながら見上げる
季節外れの花火も、なかなか趣きがあって良いものですね。



冬の花火の写真2枚、これだけじゃあなんだか味気ないので、
「冬の花火」でググってみたら、
こちら↓がヒットしました。

太宰治「冬の花火」(青空文庫)

かの太宰治先生が、1946年(昭和21年)に疎開していた津軽の生家で書いた戯曲だそうで。
わたくし、お恥ずかしながら寡聞にして存じませんで、
せっかくの機会なので初めて読んでみました。

タイトルの「冬の花火」は、主人公の女性「数枝」のセリフに何度か出てきます。

幼馴染の中年男性(ストーカー)に夜這いで押し掛けられ、
拒絶の押し問答をする間、
「冬の花火、冬の花火。ばからしくて間が抜けて、
(片手にパチパチいう花火を持ったまま、もう一方の手で涙を拭く)
清蔵さん、あなたもあたしも、いいえ、日本の人全部が、こんな、冬の花火みたいなものだわ」


敬愛する育ての母の、思いもしなかった告白を聞いて失望し怒り、手紙を破った後で、
(うろついて、手にしているたくさんの紙片を、ぱっと火鉢に投げ込む。火焔かえんあがる)
「ああ、これも花火。(狂ったように笑う)冬の花火さ。
あたしのあこがれの桃源境も、いじらしいような決心も、みんなばかばかしい冬の花火だ」


太宰治が戯曲ってなんだか珍しいなと思いつつ、
彼らしい登場人物の生々しさとか、
人生に翻弄され転落してゆき、もがく数枝(と、もう一人の女性)の描き方とか、
短いながらも興味深い作品だなぁ、と私は感じました。
なにより太平洋戦争直後、しかも北東北の田舎という舞台設定がいい味出してます。

この戯曲「冬の花火」について、太宰が友人に宛てた手紙によれば、
「あのドラマの思想といつては、
ルカ伝七章四七の『赦さるる事の少き者は、その愛する事もまた少し』です。
自身に罪の意識のない奴は薄情だ、罪深きものは愛情深し、といふのがテーマ」

(昭和21年8月22日河盛好蔵宛)
「これは実に凄い大悲劇。劇界、文学界に原子バクダンを投ずる意気込み」
(昭和21年4月22日堤重久宛)
「戦後の絶望を書いてみました」(昭和21年5月1日井伏鱒二宛)

戦争に負けて、日本人としての自信も拠り所も、居場所や仕事や家族も揺らいでいた時代とか、
誰も彼もが顔見知りですぐ噂になって世間体ばかり気にする、息苦しい僻地のお土地柄とか、
当時の太宰治が、おそらく肌で感じていたであろう閉塞感。臨場感たっぷり。
その時代の、その土地の空気感が相乗効果となって、
数枝という女性の人生の哀しさ、救いのないやるせなさが、より胸に迫りましたねぇ。

罪深きものは愛情深し。
ということは、愛情深い優しい人ほど、何かしら自分の罪を自覚していて、
贖罪の思いで人に優しく接することができる、ということなのかな?

ま、単なる一腐女子の一感想、徒然なる戯言でした。
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