2015_09
21
(Mon)23:59

荒城の月



♪今荒城の 夜半(よわ)の月~♪



昨年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で、
“スーパーかんべえ兄さん”ことV6岡田准一師範が、
田中哲司さんに捕えられ、約1年間土牢に幽閉されちゃった、
摂津国有岡城で~す!



♪昔の光 今いづこ~♪

有岡城跡は、JR伊丹駅から西側(イオンと反対側)に出て、すぐ目の前にあります。
夜でも人通りが多くて周辺は明るい場所なんですが、
夜の城跡は、やはりもの悲しくてちょっと怖いっすね^^;。

ちなみに、冒頭の1枚目の写真は、
有岡城跡の向こうに浮かぶ月齢六日の弓張り月で、
まさしく「荒城の月」の風景。
ですが、3枚目の写真、石垣の上に煌々と光っているのは、
有岡城跡の公園灯です(苦笑)。


有岡城跡、ずっと来たかったんですよ~!
V6ファンかつ日本史好きなワタクシですから、
昨年の大河ドラマ「軍師官兵衛」は当然ながら全50話完全保存版録画していますし、
昨年のうちに、有岡城跡や姫路城も訪れたいと思っていたんですvv
が、昨年7月から予想外の闘病生活に突入し、
そこから約1年間、旅行は儘ならず。
念願叶って、ようやくここへ来れました~♪

特に、伊丹市さんは、大河ドラマ「軍師官兵衛」の前年夏から、
“主人公が幽閉された苦難の地”であることを敢えてアピールして、
官兵衛の縁の地としてご当地ブームにがっつり乗っかったり、
大河の主役「官兵衛」の敵役を売り出せ! ブームに乗り遅れるな…兵庫・伊丹市がとった「独自路線」(産経WEST2013年9月1日)

官兵衛の故郷・姫路市に「あんときはゴメンね☆」と自ら謝罪して、
友好協定を結んでみたりwww
戦国武将の所業を伊丹市が「謝罪」 姫路市と友好協定(J-CASTニュース2013年10月18日)

伊丹市さんの、そういうイイ意味で“関西らしい”ウィットに富んだ面白さ&したたかで商売上手なところに、
東北育ちの田舎者としては「さすがだなぁ」と心底尊敬の念を抱いていたんです、本気で。


夜の写真だけじゃ暗くて見づらいので、昼に撮った写真を。

JR伊丹駅の西口を出ると、道路を渡った目の前にまず見えるのが、
この石垣。
2015-09-21arioka15.jpg

2015-09-21arioka16.jpg

>有岡城は東西に400m、南北に600mからなる大城で、
>発掘調査から有岡城の土塁の下から石垣積みが発見され、
>墓石などの転用石材があり石垣の先駆ではないかと注目されている。
>また日本で最初の天守が備えていたと言われており、
>城内には北ノ砦、上﨟塚砦、鵯塚砦、岸ノ砦、昆陽口砦などが築かれており堅城であった。

Wikipedia「有岡城の戦い」より)

ここ「有岡城跡公園」は100m四方ぐらい(?)とこじんまりしていて、
当時の“大城”の面影は残っていませんでした。
この石垣は、恐らく「主郭部(しゅかくぶ)」の一部分のようですね。

こちらが、城跡公園の入り口。(と誰かの自転車w)
2015-09-21arioka1.jpg

石垣に囲まれた短い階段を登っていくと、
2015-09-21arioka2.jpg

小さな公園が。
2015-09-21arioka3.jpg
夜来ても、昼来ても、だーれもいません。

登ってすぐ右手にある、国指定史跡の石碑。
2015-09-21arioka4.jpg

その横には、城主・荒木村重についての説明板も。
2015-09-21arioka5.jpg
大河ドラマ「軍師官兵衛」で田中哲司さんが演じた荒木村重、
感情の機微に富んだ、人間味溢れる人物で、
田中さんの演技もとても素晴らしく、心揺さぶられて、
あのドラマの中でも五指に入るぐらい私の好きな人物だったなぁ。

有岡城跡に残されている遺構は、ごくシンプルなものばかり。

2015-09-21arioka8.jpg
奥に見える、石垣跡や、

2015-09-21arioka6.jpg
手前にある、建物があった楚石の跡や、
2015-09-21arioka7.jpg
井戸の跡が2つ。
2015-09-21arioka9.jpg

城跡公園の北端に立てられたこの石碑には、「懐古園」と刻まれていて、
2015-09-21arioka10.jpg

2015-09-21arioka11.jpg
この有岡城跡を遺そうと尽力した人を記念して立ったもののよう。

信長に反旗を翻した荒木村重。
「有岡城の戦い」で信長に攻め込まれ、
あてにしていた毛利からの援軍も来ず、窮した挙句、
妻子や家臣を残し、僅かな供を連れ密かに有岡城を出てしまった後に。

2015-09-21arioka12.jpg
右側が、“今楊貴妃”と讃えられた美貌の側室・だしが、村重に送った歌。
「霜がれに 残りて我は 八重むぐら なには(難波)のうらの そこのみくづに」

左側が、村重からの返歌。
「思いきや あまのかけ橋 ふみならし なには(難波)の花も 夢ならんとは」

盛者必衰は戦国の世の習いとはいえ……あまりにも哀しいなぁ。
♪逃げたら あかん逃げたら
くちびる 噛んだけど~
Hold me tight 大阪ベイブルース……♪

(脳内BGM「「悲しい色やね」by上田正樹)


ところで、私が最も気になっているのが、
我らがスーパー官兵衛兄さんが1年間過ごしていたあの場所。

>孝高が閉じ込められていた場所は有岡城の西北にあり、
>後は深い沼地、三方に竹藪に囲まれていて日も差し込みにくく湿気が多い場所であった。

Wikipedia「有岡城の戦い」より)
ということなので、
有岡城跡公園の石垣を、見られる範囲でぐるりと見渡して、
2015-09-21arioka13.jpg
城跡の西側(南側から北方向を見た)の端の、あの辺かしら?
それとも、
2015-09-21arioka14.jpg
城跡の北側(東側から西方向を見た)の端の、あの辺かしら?
と妄想逞しくしてみたり(笑)。

でも、よくよく考えてみたら、前述のとおり、
>有岡城は東西に400m、南北に600m
だったそうだし、
戦国時代は有岡城の北端が「猪名野神社」の辺りだったらしいから、
伊丹市のホームページに載っている当時の城跡地図を見る限り、
黒田官兵衛が幽閉されていた土牢も、
主郭部(有岡城跡)から北西方向の、
もしかして「猪名野神社」近辺だったのかなあ?


いずれにせよ、城跡とか大好きな私としては、
歴史に登場し、大河ドラマでも描かれた「有岡城」の
まさしくその場所に立てて、大満足でした!

姫路城も行ってみたかったけれど……
改修工事が終わったばかりで、このシルバーウィークも人混みでめっちゃすごかったらしいし、
もうちょっと沈静化してから、いつの日か行けたらいいなぁ。
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2015/10/01 (Thu) 00:34 | # | | 編集 | 返信

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