本日は、ガウタマ・シッダールタさんのお誕生日だそうです。
おめでとうございま~す!

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……いえね、ワタクシ別に敬虔な仏教徒でも何でもないんですけどね。
巷では「♪メリークリスマース」とキリスト様のお誕生日をケーキまで食べて盛大にお祝いしているのに、
お釈迦様のお誕生日「花祭り」は地味な扱いなのがなんとなく淋しくて。
仏教法人経営の幼稚園に通ったからかしら? 三つ子の魂百まで?
ただそれだけの理由(とブログのネタ)で、
我が家に飾ってあった花の写真を載せてみました。


本日の夕空。
晴れ渡った西の空に、春らしいちぎれ雲が浮かんでいて、綺麗でした。




♪そこ~に行けば~ どん~な夢も~ 叶うと~ 言うよ~
誰もみな~ 行きたがるが~ は~るかな~世界~♪




お釈迦様の誕生日。
そして春。桜の季節。
とくれば思い出すのが、この歌。

「明日ありと 思ふ心の 仇桜(あざざくら) 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは」
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(我が町はまだ桜が咲いていないので、↑昨年の桜^^;)

意味は、
「明日もまだ桜は咲いているだろうと思っているけれど、
夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれない。
明日はどうなるかわからない。
世は無常。
やるべきことは必ずできる時にやったほうがいい」

「仇桜」とは散りやすい桜の花のこと。儚いものの例えで、
人間を桜に例えて戒めた歌だそうです。

これを詠んだのは、鎌倉時代の浄土真宗の宗祖・親鸞上人。
なんと9歳のときに詠んだと言い伝えられているそうな!
親鸞が9歳の時に、出家しようと慈円和尚の元へ行ったところ、
既に夜も更けていたので、和尚から「今夜はとりあえず休め」と言われて、
この歌を詠んだのだとか。

明日ありと思う心の仇桜(故事ことわざ辞典)
明日ありと思ふ心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(古典と楽しむ名言集)

すんげー! さすが日本史に名を刻むような偉人は9歳の時から格が違うや!
私なんてン十年生きてきても「明日やれることは今日やんなくても……」と自分を甘やかす癖が抜けないのにorz
震災を目の当たりにしたり、厄介な病に罹ったりする度に、
「今を生きる」とお題目のように書いているのにねぇ。
凡人にはなかなか達せぬ涅槃の境地にございます。

「明日ありと 思う心の 仇桜」
頭上を煌びやかに彩る満開の桜の下に立つ時、
たまにはそんな一言を思い返して、省みてみるのもいいかもしれませんね。
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