麒麟がくる

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」。





私にしては近年珍しく、ほぼ全話を1年間通して視聴した大河ドラマでした。
さらに今日放送された「総集編」4部作も、
13時過ぎから17時30分までぶっ通しで見続けて、
ついに私の「麒麟がくる」はここに完結しました。
感無量。

以前からず――っと疑問だったんですよね。
織田信長が、本能寺で明智光秀謀反の一報を聞いた時に言ったといわれる有名な一言。
「是非に及ばず」
いったいどんな思いで信長はこう言ったんだろう? と。



もともと幼い頃から大河ドラマ大好きだったワタクシ。
同居する祖父母とともに、NHK大河ドラマを見るのが日曜夜の習慣でした。
古~いところでは、「独眼竜政宗」とか「秀吉」とか、
一挙再放送があると今でも見ちゃうもんなぁ。
大河ドラマから日本史の知識と興味を得たと言っても過言ではない。
このブログが始まってから(2006年以降)よく見た大河ドラマは、
2009年の「天地人」は、事前の期待度MAXでカテゴリまで作って毎週感想書こう!
  としたけれど、後半から脚本と演出に大失望して頓挫……orz
2012年の「平清盛」は、「独眼竜政宗と双璧をなす傑作!」と感動し、
2013年の「八重の桜」は、前半ぐらいまで熱心に見ていたし(戊辰戦争終わった辺りからリタイア…)、
2014年の「軍師官兵衛」は、V6岡田准一くんが主演だから全話録画保存してあるし。

とはいえ、ここ近年は大河ドラマをめっきり見なくなって、
2019年「いだてん」の第1回と最終回素晴らしかったなぁ、とか、
たま~に飛び飛びで見る程度。

2020年の「麒麟がくる」も、あまり見るつもりはなかったので、
第1話は見逃しています。
翌週、第2話「道三の罠」を、なぜか後半20分だけ偶然見かけました。
娘婿で主君でもある土岐頼純を、モックン演じる斎藤道三が、
「♪お~もし~ろ~や~」と淡々と謡いながら、点てた茶で毒殺!
という伊右衛門も真っ青な衝撃シーンに、ひぃいいいと痺れまくって俄然興味が!(笑)

そういや池端俊策先生の脚本だもの。
セリフの言葉遣いも美しいし、人物の感情の機微を描く筆致もそりゃ魅力的よねぇ。

そこからは、帰蝶様(川口春奈さん)の凛とした美しさと、マムシの娘らしい策略家(帰蝶P)な姿、
打ち取った松平広忠(浅利陽介さん)の生首を嬉々として父母に献上してドン引きされる信長(染谷将太さん)の孤独、
毒殺を企てた弟を信長が逆に「飲めぇええええ!」と涙ながら絶叫して謀殺した場面、
斎藤高政(伊藤英明さん)と道三との、徐々に広がる父子の確執と、長良川の戦いでの愛憎の極致、
桶狭間の戦の臨場感あふれる合戦(今井翼くんのジャンピング槍カッコよかった~)、
信長討伐を決めた足利義昭(滝藤賢一さん)と光秀との涙の決別、
平蜘蛛の茶釜をめぐる松永久秀(吉田鋼太郎さん)と信長と光秀の複雑な関係、
正親町天皇(坂東玉三郎さん)の高貴な美しさや、蘭奢待のエピソード、
(思わず「らんじゃたーい!」と歓喜の叫びをあげちゃった←お笑いコンビではなく・笑)
などなどなど、見たくなるシーンがいっぱいで、
気がついたら全44話の9割くらいはリアルタイムでテレビ視聴してました(笑)。

なかでもやっぱり、何度も鳥肌が立って、素晴らしい! と心揺さぶられたのは、
織田信長と、彼と対する光秀のその折々の葛藤だったなぁ。

長谷川博己と染谷将太は“父と子”のようだった 愛の物語としての『麒麟がくる』(Real Sound 2月13日)

この「麒麟がくる」で描かれた織田信長は、従来の人物描写とは大きく異なって、
絶対的カリスマでも、戦国時代の覇王でもない。
父や母から褒められたい、愛されたい、
それが叶わぬ分、みんなに(獲った魚を売って)喜ばれたい、
後には、光秀や帰蝶に褒められたい、
という純粋な承認欲求が行動原理の、まさに子どものようなピュアな人。
子どものように純粋に激しく喜怒哀楽を表し、
子どものように純粋に残酷な所業を行い、
子どものように純粋に褒められたい、愛されたいと望む。

桶狭間の戦いの直後、信長は道で会った光秀に「褒めてくれるか?」と問いました。
この時には、次にどこへ進むのか?
「帰蝶のために美濃を」ぐらいしか目先を考えていなかった信長。
かたや光秀は斎藤道三の遺した言葉、
「十兵衛、大きな国を作れ。誰も手出しのできぬ、大きな国を」
これを天下安寧への道標とし、その後何度も指針としている。
次第に勢力を広げた信長は、「大きな世を造りなさいませ」という光秀の言葉で、
これから先の目標を見出し、天下統一へと邁進していく。

ただただ褒められたい。
もしかしたら特に、光秀に褒められたい。
でも邁進すればするほど、信長と周りとの心の距離がはなれていく。
信長が母への思慕と同様の愛情を抱いていた帰蝶が、
信長のもとを離れて隠遁するという。
帰蝶「駿河の国に富士という日の本一の高い山がある。
 高い山には神仏が宿り、そこへ登った者は祟りを受けるそうじゃ」

天下一高い山=右大将に任じられた信長、登れ登れとけしかけてきた自分も、
祟りを受けるのかもしれない。
まだ邁進しようとする信長への恐れと、心の乖離の哀しみと諦めが帰蝶から感じられました。
絢爛豪華な安土城のおそろしくだだっ広い大広間に、ぽつんと一人残された信長。
あの姿は、信長の絶望的なほどの孤独がひしひしと感じられて、胸が痛いくらいでした。

夜な夜なみる悪夢で、信長の登った天まで続く樹を自らの手で切り倒す残像に苛まれる光秀は、
帰蝶のもとを訪ねて静かに問います。
光秀「道三様なら、どうなされましょう」
帰蝶「毒を盛る。信長様に」
  「今の信長さまを作ったのは父上であり、そなたなのじゃ」
  「万(よろず)、作ったものがその始末を成すほかあるまい。違うか?」


光秀の価値観において、天皇や朝廷や将軍といった権威は、
天下安寧の世を作るうえで、欠かすことのできない、お守りし仕えるべき存在。
しかし信長は、将軍を殺して、まだまだ戦乱の世を続けようとしている。
自らの作った信長が、天下安寧とは真逆のほうへ進んでいる。
であれば、今の信長を作った自分がその始末をするしかない。

光秀と信長が最後に交わした言葉の中で、信長はこう言いました。
「二人で茶でも飲んで暮らさないか。
夜もゆっくり眠りたい。
明日の戦のことを考えず、子供のころのように長く眠ってみたい。長く」

信長は誰よりも光秀のことを信じ、頼みにし、
そして最後まで「光秀LOVE(by染谷さん)」だったんだなぁ……切ない。
光秀も、信長の最後の願いを自らの手で叶えたようにも思えます。

そして迎えた、私が見たなかで過去最高の本能寺の変
「最終回の台本を読んだとき、感動しました。
僕としては感動する本能寺の変でした。
これまで積み上げてきたもの、そのすべてが凝縮されています」
「とても切なくエモーショナルであり、興奮してしまうような最終回」

という染谷さんの言葉どおり、感動と寂寥感と愛に満ちた本能寺の変でした。

「是非に及ばず」
これまで様々な大河ドラマや他の映画・ドラマで、
本能寺の変が描かれるたびに出てきた名セリフですが、
私にとっては過去のどれよりもしっくりくる描き方でした。

「そうか、十兵衛か」
「であれば、是非もなし」

染谷さんはこんな気持ちでこのセリフを言ったそうです。

光秀に討たれるのはもはや本望。
光秀が自分を楽にしてくれる。
迎えに来てくれたといううれしさと切なさが複雑に出ました。
そして、最後の戦を楽しもう。
最後の戦が光秀なんて最高だ!

涙を流しながら、しかし笑顔で、どこか晴れやかでもある信長の顔。
何度見ても感情が搔きまわされて共感して、鳥肌が立つし涙が出ます。
ホントにすごい俳優さんだなぁ、染谷将太って人は。

最期、自ら放った火で燃え盛る本能寺の奥の間で、切腹して命果てた信長は、
蹲ってまるで胎児のような姿勢で、
その横顔はほんのり笑っているかのようで、
染谷さんも「死に顔は全話の中で1番力の抜けた顔にしようと思いました」と言っていました。

大河「麒麟がくる」染谷将太 「死に顔は全話の中で1番力の抜けた顔」(スポニチ2月7日)

実は最終回を見ている間、
「え? 敦盛舞わないの?」
「炎の中で切腹の瞬間はなし?」
「山崎合戦の後、光秀が農民に竹槍で突き殺されるシーンは?」
「ええっ、もしかして天海END!?」
「麒麟は? 麒麟の姿は拝めないの?」
てな具合に、中途半端な日本史知識や過去ドラマの影響で邪念がチラホラと脳裏をよぎったりしましたが、
後で考え直してみると、
そんな手垢のついたありきたりな本能寺の変や明智光秀の最期じゃなくてよかったな。

作中でたびたび描かれた徳川家康との関わりを振り返れば、
光秀は生き延びて天海僧正となり、江戸幕府の礎を築いて「麒麟がくる」世を作った…かもね、という
希望に満ちた、視聴者の想像にお任せENDが、この作品に一番相応しい。

光秀が最後に言ったセリフ「麒麟は、この明智十兵衛光秀が必ず呼んでみせると」
について、こんな考察がありました。
【大河ドラマコラム】「麒麟がくる」最終回「本能寺の変」光秀の最後の言葉が意味するもの(エンタメOVO2月8日)

「麒麟(を誰か)が(連れて)くる」から「麒麟(を自分)が(連れて)くる」へ。
「何かを変えなければ」と言っていた「何か」は、光秀自身の志だった
(中略)
また、その光秀の生きざまからは、今を生きる私たちへのメッセージを読み取ることもできる。
平穏な世の中は、誰かを当てにするのではなく、
一人一人が「自分が作っていく」という志を持つことから生まれるのだと。

なるほど、確かに今を生きる私たちへつながるメッセージがあるのかも。
その前向きなメッセージが「麒麟がくる」のラストシーンの後に残る、
えもいわれぬ爽快感と感慨無量とをもたらしているのかも。

大河ドラマ「麒麟がくる」。
最高の「本能寺の変」を見せていただき、ありがとうございました。
いいドラマでした。
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