以下、「実録!腐女子が沼に落ちる瞬間」をお届けします……。
(このブログで過去何度か掲載されているシリーズ・苦笑)
2月12日、ノムさん一周忌の記事を書こうとネットをいろいろ検索しているうちに、
18:09、Amazonで、1月27日に発売されたノムさん最後のインタビュー(未完)を基にした著書、
『弱い男』のページに辿り着く。
商品詳細をしんみりじっくり読み進めていくうちに、
ページ下部にある「この商品に関連する商品」に載っていた、同日発売の
『やればできる!ティモンディのベースボール教室』が目に留まる。
「あ~、あの強豪・済美高校野球部OBのお笑いコンビね。
見たことあるな。野球上手いって尊敬するわー」
と興味が沸いて、さらに検索したところ、
↓
サンドウィッチマン・富澤さんのブログで、1年前の2020年1月末に、
田中将大投手や元SMAP中居くん、爆笑問題・田中さん達と草野球している写真が……!!
さ、さすが! スゲーな。済美高校野球部だったティモ前田のセンターへのホームランで先制
マジで!? すんごい人だ……!まだまだ動けるティモ前田はマーくんとの対戦に本気で挑み、バッターとしては空振りで完敗、
ピッチャーとしてはフルカウントまで追い込むもフォアボールという悔しい結果。
俄然興味が高まる。
↓
18:22、「ティモンディ」でWikiる。
↓
18:59、涙の始球式(2020年10月4日ヤクルトvs広島戦ファーストピッチング)を見て感動のもらい泣き(T◇T)
↓
ティモンディを検索しまくって時速150キロであれよあれよと沼に転げ落ちる……。←今ココ
……萌えの底なし沼って、
どこにパックリ口を開けているか分からないから、
ほんとうにこわいわ……(ガクブル)
以下は、ティモンディお二人の略歴。
自分のためだけの備忘録(笑)。
年月 | 前田 | 高岸 |
出身 | 神奈川県相模原市。 | 愛媛県生まれで1歳頃から滋賀県。 |
小学生 | 小学校に入る頃には親をおんぶできる程の怪力。 親から「絶対に友達に手をあげてはいけない」と言われ、恰幅の良い子が肩パン対決を仕掛けてきても、お腹をさすり返す、という応酬をしていた。 サッカー、水泳、体操等の習い事をしていたが、小3時に野球チームで「上手い」と褒められ野球に夢中に。 | 幼い頃にTVで野球の試合(巨人-西武戦)を見て、カッコイイ!と思った。 野球好きの父と兄2人と空き地で野球をして遊んでいた。 小3の春に友達に誘われ、野球チーム「草二リトルメッツ」に入る。 もともと不器用で、キャッチボールをすると球が顔面に当たっていて、キャッチボールが出来るまで1年かかった。 |
中学生 | 硬式野球チーム「座間ボーイズ」でエースピッチャー。 東海大相模や作新学院など有名強豪校10校から野球推薦スカウト。 「どうしても甲子園で優勝したい。プロになりたい」と考え、地元の激戦区・神奈川から、愛媛の強豪・済美へ進学を決めた。 | 軟式野球チームの「湖南クラブ」でピッチャー。 中学生で既に身長180cmあり、135km/hを投げていた…! 近江高校や平安高校など強豪8校ほどから野球推薦スカウト。 済美に決めたのは中学時代の先輩が済美に入学していたことと、愛媛の高校から甲子園に行きたいと思ったから。 |
そして、二人は済美高校へ入学。
済美(愛媛)と浦和学院(埼玉)は「日本で最も練習が厳しい野球部」と言われていた。
中学3年生の早春、済美高校の寮に入寮した日に、
最初に目が合って、寮の駐車場でキャッチボールをした。
キャッチボールを始める直前、高岸「右のサードだと思った!」といきなり言う。
↑前田さんは左のピッチャー(笑)
高岸さん曰く、当時の前田さんは今より9倍ぐらいのガタイで、目もギラギラしていたので、
「これは熱い! ホットコーナー(=三塁手)だ! これはいいサード入ったぞ、済美!」
とビビッと来てキャッチボールを申し込んだ。
第一印象でポジションや利き腕を想像する高岸さんに対し、前田「???」

鳥みたいな理由(※インプリンティング)で俺は好まれてるらしいんだけど。
『目が合ったから』っていうね」



夜通し朝まで二人で話し込んで、数ヶ月前の2007年クリスマスに「M-1グランプリ」で優勝したサンドウィッチマンの話題で盛り上がった。
年月 | 前田 | 高岸 |
高1 | ZEET検定(全国の高校野球部員対象の筋力測定)で全国1位の記録。 | 済美高校は夏の甲子園に出場。二人ともアルプススタンドで応援。 |
高2 | ZEET検定で2年連続全国1位! 二人とも控え投手兼野手としてベンチメンバー入り。 愛媛県大会決勝で西条高校に13-2の大差で大敗。 新チームが始まって、背番号がもらえず心折れそうになる。 | 投手兼野手でレギュラー入り。 県大会決勝(vs西条高校)9回にリリーフで登板して4失点。現阪神の秋山投手と対戦。 |
高3 | 3年時にはスクワットで280㎏を挙げた…!(ウエートリフティング大会高校の部・日本3位に匹敵) 練習中ふざけすぎて、ペナルティーでウサギ跳びをよくやらされた。 故・上甲監督に「前田は芸人になったほうがいいな」と言われたことがある。 夏の愛媛県大会は、一塁コーチャーでベンチ入り。 決勝で、宇和島東(練習試合では5戦全勝していた)に3-2でサヨナラ負け。 高校通算16本塁打。 将来的にプロでやっていくのは難しそうだ、他の道もあったのではと後悔しないかと自問した結果、自分の中で消化して、大学で野球を続けることを断念。 野球引退後、「図書館にある本を全部読もう」と決め、司書さんと仲良くなってオススメの本を読みまくった。 済美高校隣のローソンのイートインスペースで、二人で「ラジオごっこ」をしていた。 学校指定推薦入学で駒澤大学法学部へ進学。 | 夏の愛媛県大会は、ピッチャー兼レフト。準決勝で登板。 決勝で、宇和島東に3-2でサヨナラ負け。 最高147km/hの速球投手、高校通算20本塁打。 野球雑誌にプロ注目投手と記事が載ったり、阪神とヤクルトのスカウトから「プロ志望届を出してくれたら育成か下位で指名する」と声を掛けられていた。 故・上甲監督の「大学行って、確実に上位で指名されるようになってから行った方がいいんちゃうか」というアドバイスもあり、先に声をかけてくれた東洋大学へ進学。 (高校・大学と野球推薦のため受験をしたことがない) |
大学 | 駒澤大学に進学し、法律を勉強。 大学2年から法律研究サークルにも入って学生生活をエンジョイ。 別の大学に進学したが、高岸の東洋大のキャンパスや学食に行ったり、部屋に遊びに行ったり、さらには、高岸に勉強を教えたりレポートを手伝ったりしていた。 成績優秀で教授から大学院進学を薦められ、2、3校を受験したところ、全校で学費全額免除の成績。 明治大学法科大学院に進学を決める。 | 大学入学直前の春、東日本大震災が発生。 サンドウィッチマンの復興活動を見て「お笑い芸人ってすごい職業だね」と二人で話した。 東洋大学の野球部寮で生活。 前田の駒澤大のキャンパスや学食に行ったり、部屋に遊びに行ったりしていた。 大学3年時、毎日200球投げ込みをしていたところ、肘を故障し、野球を断念。 1年間ほど、野球部の裏方として支えた経験から、これまで多くの人の応援と支えで野球できていたことを実感。 「次は僕がみんなを応援しよう」と決意。 大学3年の終わり頃に野球部を退部し、うどん屋などのバイトで自分と妹の学費を稼いでいた。 |
大学卒業前の冬、

叶わなかったけど、他の方法で何かできないかと考えたときに、
サンドさんのことを思い出したんです。
それで大学を卒業する年に、僕から前田を誘ってコンビを組むことにしました」
前田さんは「高岸と一緒なら楽しそうだな、しんどいことも頑張れるな」と考えて承諾。
2015年1月1日、ティモンディ結成!@池袋のマクドナルド。
コンビ結成時に、前田「芸人として有名になって、お前をNPBの始球式で投げさせてやる」
「テレビにたくさん出る」「街を歩いてたら顔を指されるようにさせる」等の目標を掲げる。
前田さんは大学院で憲法と刑法を主に学び、芸人と二足の草鞋を履いていたが、
2016年、1年通った大学院を中退。
コンビで週5会って
大学院の出席日数が足りなくなり、
より自分が「苦しくてもいい」と思える、芸人を選択。
芸人になって数年間の高岸さんは、
キャラを模索し、いろいろ試行錯誤・紆余曲折していたようですねぇ。
◆高校野球の強豪、愛媛・済美高野球部出身の初のお笑いコンビ、ティモンディ(サンスポ2016年7月3日)
23歳時のコンビ写真とインタビュー。
↓
◆高校球児の僕が伝説的な名監督から贈られた言葉(オモプラニュース2018年6月5日)
この頃までは、高岸さんも結構ほっそり痩せていたし、イケメンな髪型&服装だったりしたもよう。
「熱血体育教師のような」大声で捲し立てるツッコミ・高岸さんと、
「コミカルな動きの」ボケ・前田さん(蝶ネクタイしてるw)だったようで。
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◆名門済美野球部出身のお笑いコンビ「ティモンディ」が振り返る故上甲監督の“日本一の地獄練習”(東スポ2018年10月7日)
この頃は、高岸さんは今と同じく髪がオールバックだけど、
身長185cm、78㎏で今(188cm、95㎏)より17㎏も軽い。
前田さんも公式では身長175㎝、68㎏。
(2021年1月の最新体重は80㎏。データ分析上は「ぽっちゃり体系」^^;)
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そして、現在の最終形態へ。

「先輩芸人からのアドバイスを試したりもしましたが、
自分でも無理しているのがわかるし、お客さんに響かなかった」
「前田はそんな僕をじっと見守っていましたが、
あるとき、『もういいから、自分がやりたいようにやれ。
お前、そんなじゃないだろ』と言ってくれて」
「相方が『高岸の良いところはここだよ』と僕の良さを伝えてくれて今の形になりました。
前田は『それはダメ』という否定的な言い方は絶対にせず、アドバイスをくれるんです」
肘を壊して4年程ボールを投げることを休んでいたことで、どうやら肘もよくなった(?)。
二人で会えばキャッチボールをしたり、ピッチング練習をしたり、
撮影したピッチングフォームをLINEで前田さんに送信してチェックしてもらったり。
そのお陰で、球速がMAX5km/hアップした!
2018年12月、26歳にして自己最速150km/hを計測!
2019年2月、人気YouTubeで「150キロを投げるお笑い芸人がいた!」と取り上げられる。
2019年8月、ゴットタンやアメトーーク「スポーツ推薦芸人」等に出演し、露出が増える。
そして、現在に至る……。
こうやってティモンディについていろいろ調べるうちに、
2020年10月4日、神宮球場での「涙の始球式」や、
高岸さん・前田さんに対して抱いていた最初の印象と、
それを覆された意外な性格に対する一考察(?)などなど、
私が書きたいことはまだまだ沢山あります。
が、あまりに長くなりすぎたのと、
多分ここをご覧になる方の需要がまったくないので(苦笑)、
また後日、日を改めて書き散らかします(笑)。
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