「遺体~明日への十日間~」を先週、映画館で見てきました。






「遺体~明日への十日間~」公式サイト

2011年の東日本大震災で被災した岩手県釜石市の遺体安置所を題材とした
ルポルタージュ「遺体 -震災、津波の果てに-」を基に、
メディアが伝え切れない被災地の真実を描き出したヒューマン・ドラマ。
葬儀関係の仕事をしていた主人公を中心に、
遺体を家族のもとに帰そうと奮闘する遺体安置所の人々の姿を映し出す。
メガホンを取るのは、『踊る大捜査線』シリーズの脚本や『誰も守ってくれない』などで知られる君塚良一。
西田敏行が主演を務め、佐藤浩市や佐野史郎など日本を代表する名優たちが共演。
東日本大震災の壮絶な様子と共に、遺体安置所の人々を通して日本人の死生観をも映し出す。

シネマトゥデイ作品情報より引用)

本作の収益金は被災地に寄付されるそうです。

こちらが原作本。
遺体―震災、津波の果てに遺体―震災、津波の果てに
(2011/10)
石井 光太

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見に行くかどうか、悩んだ映画でした。
でも、見に行かなければならない映画だと思いました。
観て、ほんとうに良かったと思います。
できるだけ多くの人に、観てほしい映画です。

※以下、ネタバレ感想です。







被災地の「遺体安置所」を舞台とした映画で、
「メディアが伝えきれなかった被災地の真実」を描く――。
そんなふうに映画の概要を聞くと、
公共の電波や紙面には出せないような夥しい死体をスクリーンに映し出し、
怖いもの見たさで物議を醸そうと狙った、センセーショナルな映画?
あるいは、わずか2年前にこの国で実際に起きた大災害を基に、
「遺体」を前面に押し出したフィクション映画だなんて、
あまりにも不謹慎すぎる。お涙頂戴のセンチメンタル映画?
と眉を顰める方もおられるかもしれません。

私がこの映画を初めて知ったのは、2月15日放送のNHK「あさイチ」。
プレミアムトークのゲストが西田敏行さんで、
この主演映画について、西田さんが熱い想いを語り、短い作中映像が流れました。
それを見ただけで、私はもう涙が流れて、
「この映画の上映が始まったら、映画館に見に行こう」と決意しました。

映画館へ行く前に、公式サイトを見て、
作品概要やあらすじ、スタッフやキャストの想い、鑑賞した人の感想、
そして予告映像(冒頭の動画)に、またも落涙。

主演の西田敏行さんの言葉。
「当初、遺族のお気持ちを考えると、映画化はいかがなものかと危惧していたが、
今は『震災を忘れない』とメッセージを発信する映画に参加でき、本当に良かったと思う」
「俳優としての作為が自然と消えて、ひたすら当時の様子を追体験する現場だった」

西田敏行、被災者の感謝に涙 「遺体 明日への十日間」プレミア試写会(映画.com2月19日付)

君塚監督のインタビュー。
「肝心なのは、嘘をつかないこと」
「あたかもドキュメンタリーのように撮っていきました。
嘘をついたら、被災者の方に失礼ですから」

監督はキャストに「感じたままにやってください。全部さらけ出してください。それをカメラで撮ります」と言ったそうです。
「だから、ほとんどがアドリブです」
「命は素晴らしい。残された自分たちは必死に生きようと言うだけでは、伝わらないと僕は思っています。
だから、人の死と対面しなきゃいけないってことをきちんと描きたかった。
もちろん、そこには覚悟がいりました。
ずっと目をそらしてきたけど、震災が起こった日、僕らは確かにそれぞれ別の場所で生きていたんです。
だからこそ、知るべきだと。
かなり強烈なことだけど知ってほしいと、僕は思いました」

君塚良一、3.11の遺体安置所を撮った覚悟「嘘を一切つかないこと」(MovieWalker 2月21日付)
役者たちも遺体安置所のセットで号泣…映画『遺体 明日への十日間』、悲痛すぎる現場とは?(シネマトゥデイ2月22日付)

主人公のモデルになった男性のインタビュー。
「東日本大震災のとき、こういうことがあったんだ、という事実を風化させないためにも、
映画化することは素晴らしいことだと思いました。
何十年か後、また震災が起こったときに同じことを繰り返さないためにも……。
今回のことを形あるものに残せるのはいいことだと思います」
「当時の様子そのままを描いたかのような作品ですので、観ていただければ多くのことが伝わるはずです」

映画主人公のモデルになった民生委員・千葉さんのインタビュー(シネマトゥデイ)


映画を見に行く前に、ハンカチ2枚とティッシュを用意しながら、行くべきかどうか悩みました。
東北出身の私にとって、東日本大震災は大きく重い衝撃でした。
当時も連日テレビ報道で映像を見ては泣いていました。
目を背けて見ないようになど到底できない重大関心事でした。
今でも、被災地の復興は遅々として進んでいないと落胆し心配しています。

けれど。
映画を見るのならば、もっと明るい娯楽作品を見たほうが気分が楽になるんじゃないか?
それに、号泣するとわかった上で見に行くのは、
まるで「泣いてストレス解消する」「感傷に浸る」ような構え方で、
ほんの2年前に実際に起きた事実をあたかも「エンターテインメント」のように捉えていることにならないか?
死者・行方不明者約1万8千人と、その残されたご家族、
そして、今も避難生活を強いられている約31万5千人に対して失礼じゃないか?
そういった逡巡がありました。

それでも、新聞テレビ雑誌などでは倫理上の問題で報道できなかった「遺体安置所」の
当時の実情を、お芝居を通してでも見て聞いて知ることは、
本当の意味で「震災を忘れない」「被災地に思いを馳せる」ことになるんじゃないか。
映画館で見ておかなかったら、きっと後悔する。
そう考え、映画館に足を運びました。


映画は、冒頭から10分程、東北の中小都市ののどかな日常風景から始まります。
近所のお年寄り達と卓球に興じる民生委員、いつも通り診察する歯科医、どこかのんびりした市役所職員達、
小さな街のメインストリートを行き交う車、買い物する人々。
なんの変哲もない平々凡々な日常の描写。
しかし、観客席の私は、もう間もなく起こる事実を知っている、いわば「神の視点」で見ているので、
この和やかな風景を見た時点で目頭が熱くなりました。

そして突然襲った大きな揺れ。
停電で情報も得られず、同じ市内の海側では大変なことが起こっていると知るよしもないまま。
次第に明らかになる甚大な被害。戸惑う人々。
山側の廃校体育館に次々と運ばれてくる津波の水死体。
遺体安置所に響き渡る怒号。無造作に置かれた死屍累々。死後硬直した腕を折ってまっすぐにする運搬人。
泥水で汚れきって混乱し殺伐とした無秩序な空間。
目を疑う光景に、担当となった若い市役所職員3名は呆然と立ち尽くすのみ。

別の場所では、海側に繋がるトンネルから死体の運搬作業をする市職員達。
泥まみれになって疲弊しきった彼らの顔は無表情に固まり無口に。
子どもの死体をトラックに積み込むと、
後ろからフラフラとついてきていた泥だらけの女性が「人殺し!」と叫んで職員達を詰る。
中2の娘と買い物に来ていた母親は、津波に飲まれて繋いでいた手を放してしまい、
自分は助かり、娘は溺死してしまったらしい。

かつて葬儀関係の仕事をしていた民生委員が、遺体安置所のボランティアを願い出て、
やがて遺体安置所に少しずつ秩序と”亡くなった方への尊厳”が取り戻される。
ご遺体に「痛かったね。つらかったね。よく我慢したね」と生前のように話しかけ、
マッサージをして死後硬直をほどき、体を拭き清め、死に化粧を施す。
「あの方々は、死体ではないですよ。ご遺体ですよ」


映画を見ている間、何度も何度も涙が溢れました。

主役は西田さん演じる民生委員さんですが、誰か一人が「ヒーロー」なのではありません。
検死をする医師と歯科医師、ご遺体に声をかけ遺族に声をかける市職員、ご遺体を運ぶ職員、
1つでも多くの棺を用意しようと奔走する葬儀社社員、読経する僧侶、
他にも映画に出ていた全ての人が、
ご遺体が並んだ非日常の極限状態にあって、自分の飲食も休養も不十分な中、
「一人でも多くのご遺体を家族の元に帰す」ことだけを念じて、
「今自分が出来ること」を懸命にやっていました。
今見ているのは役者さんの演じたお芝居ではあるけれど、
実際にこうやって人のために最善を尽くそうと努力していた人達が、
被災地の至るところにいらっしゃったのだと思い、胸が震えました。
驚天動地の災害が襲った異常時に、人はどう行動するのか? 行動すべきなのか?
改めて身につまされました。

映画の中では、津波や海の映像は一切出てきませんでした。
海側へと繋がるトンネルからご遺体を運び出してくる様子。
そして、山側の遺体安置所の様子。
直截的な被害状況の映像はありませんでしたが、この2つだけで甚大な被害が伝わってきました。

そして、この映画にはBGMもほとんどありませんでした。
小さな子どものご遺体が運び込まれてきた時、
市職員の若い女性が息を飲み、思わず背を向けて壁際へ行ってしゃがみこみ、
「なんであんな小さな子が……私なんかが生きて……」と号泣するシーンがありました。
恐らく通常の映画ならば、このシーンでしんみりとした哀切の音楽を流し、
演じる志田未来さんにアップで寄ってしばらく映して、感動的に盛り上げるでしょう。
しかし、BGMもなく、うずくまって泣く志田さんを数秒映した後、
すぐに別のシーンに切り替わりました。
驚くほど淡々としていて、「ドキュメンタリー」を見ているような感じがしました。
この映画は、そうあるべきだと私も思います。
監督や制作スタッフの皆さんには、過剰なBGMや余計な演出をせず、
客観的にシンプルに、映画化してくださったことを感謝したいです。

この映画を観終わって感じたことは、
痛ましい、可哀想、悲惨、などの感情ではなく、
どこか私も癒され救われたような、清廉で穏やかな気持ちでした。
思い返せば、映画「おくりびと」を観終わった時も同様の思いが去来しました。
「死体ではなく、ご遺体」
異常事態下にあっても、ご遺体を清めて身を整え、手を合わせて祈り、お送りする。
これはもちろん、亡くなった方の尊厳を守るためです。
同時に、残された生者を慰め、心に平穏をもたらすためでもある。
映画の中では、家族の死に嘆き悲しむ遺族達が、
民生委員や市職員など遺体安置所の人達に見守られ、会話し、ご遺体と向き合うことで、
最後は微かな満足の笑顔を口元に浮かべ、「ありがとうございました」と言って立ち去っていく。
「弔う」ことは、生者にとってこそ大切な行為なのだな、と感じました。

突然大切な人を亡くした時、人は驚愕し取り乱すけれど、
死は、いつなんどき訪れるか分からない不条理なもの。
そして生ある限り、いつか必ず訪れるもの。
いわば生きている全ての人の最終到達地です。
亡くなった人の生前を偲び、尊厳を守って葬送することは、
自らの人生の終焉も、こうやって終わりたいという目的地を見出すこと。
大切な人の死の尊厳を守ったという誇らしさを胸に、これからの生を歩むこと。
そういった心の拠り所の意味もあるのではないかな? とふと感じました。
そして、死者を敬い弔う日本人の「死生観」は、美しく誇らしく感じます。
映画の中の遺族だけでなく、観客である私の喪失感・無力感もまた、癒され宥められる心地がしました。


正直、映画館に行く前は、観客はほとんどいなくてガラガラだろうと思っていました。
遺体を扱った重く暗い映画なので、見たがる人は少ないだろうと。
予想を裏切り、私が行った映画館はほとんど満席で、鼻をすすっている人も多くいました。
「被災地は忘れられつつある」と言われる昨今、
関心を持って足を運ぶ人がまだ多くいることが嬉しく思えました。
但し、近隣の町でこの映画を上映していたのが、この1館だけだったからかもしれません。
また、観客はたくさんいましたが、中高年の方が多く、
若い人はほとんどいなかったように見受けられました。

できれば1人でも多くの人に、この映画を観ていただきたいです。
特に、被災地以外の人に。
いつの日かテレビの地上波でも放送してもらえればいいのだけれど……。
「お芝居とはいえ、”遺体”を題材に映して鑑賞するのは不謹慎」という意見もあるでしょう。
けれど、「日本人の死生観」を見つめ直し、「生と死」を見つめ直すうえで、
とても有意義な作品だと思います。
観に行って良かった。
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