「あの人最近何やっとんねん 第1位」として、
元西武ライオンズのG.G.佐藤選手が……!
「たった1球で地獄に落ちた、元西武の4番バッター」と紹介されていました。
私は西武ファンではないので、G.G佐藤選手についてあまり詳しくはないのですが、
パ・リーグの対戦選手としてよく目にしていました。
私から見た「G.G.佐藤」の印象は、
外国人助っ人選手かと見紛うような筋肉隆々の恵まれた体格に、
くわえてウエイトトレーニングオタクw
その極太の腕を豪快に振り回す力強いバッティングフォームはガイジンさながら!
試合後ヒーローとしてお立ち台に立てば「キモティ―――!!」と叫んで西武ファンを喜ばせ、
オフには高い銭闘力を見せるw
実は、中学時にノムさんが監督を務めた少年野球チームに所属していたことも。
そして忘れられないのが、2008年「野球にとって最後の」北京五輪。
準決勝・3位決定戦で3つの致命的エラーを犯し、「A球戦犯」と激しいバッシング……。
2011年秋に西武から戦力外通告を受けて、彼は今どこでどうしているのだろう?
大卒後プロ入り前にアメリカマイナーリーグで3年プレーしていたから、
再びアメリカへ渡ったのだろうか……? と密かに案じていましたが。
G.G.佐藤選手は、今なんとイタリアで野球をしていました……!
◆「目いっぱいプレーしたい」伊が新天地のGG佐藤」(サンスポ3月21日付)
私は勉強不足な野球素人なもので、イタリアに野球のプロリーグがあるとは知りませんでした。
イタリアといえばサッカー! というイメージが強くて。
しかし、上記記事によれば、イタリアの野球は60年以上の歴史があり、
ヨーロッパの野球はイタリアやオランダが強いとのこと。
G.G.佐藤選手は、イタリアプロ野球リーグの現在首位を走る強豪チームで、
4番を打ち、しかも人気No.1の選手だそうですよ!
西武時代に見慣れた短髪坊主頭から、今は髪も伸びてラテン男子な風貌v
綺麗な奥様と可愛らしい3歳のお嬢さんと、イタリアの生活にすっかり溶け込んでいる様子vv
……けれど、あの北京五輪の試合録画は未だに一度も見たことがないそうです。
(偶然ニュースなどで一部を目にしたのみ)
レギュラーシーズンを戦っている時の西武G.G.選手は、
敵チームファンの私から見て「守りの堅いライト」という印象でした。
いい打球がライトへ飛んだと思っても、そこにG.G.がいるから、
好捕されてレーザービームのような送球でアウトにされる><! と。
2007年は守備率10割(つまり、エラー0!)という好成績を残していたし、
肩も強くて鋭い送球を見せていたし。
私から見て、北京五輪で2つもフライを落球したのは、信じられないような光景。
いつものライトじゃなくレフトだったことと、
やはり尋常じゃない緊張感+一度エラーしたことによるイップスだったのかな……?
野球の「最後の五輪」で期待されていたメダルが取れなかったことに落胆しましたが、
バッシング集中攻撃のG.G.が痛々しくもありました……。
日本ではかつて1億円プレーヤーだったG.G.選手ですが、
現在のお給料は、イタリアの一般的なサラリーマンとほぼ同じ。
(但し、球団から家・車は支給され、提携レストランで食べ放題。
なので、ハンバーガーリーグ(米マイナー)よりは恵まれている)
G.G.佐藤選手がイタリアに来た理由、
それは「野球を嫌いなまま終わりたくなかった」から。
野球選手のセカンドキャリアの可能性を広げたい、という思いもあったそうです。
NPBでは毎年約90人のルーキーがプロ入りするかわりに、約90人が退団していきます。
現役プロ野球選手に「引退後について」アンケートをとると、
例年、約7割の選手が「不安を感じている」と回答しています。
◆現役プロ野球選手へ「セカンドキャリア」に関するアンケート実施(リクルートエージェント2010年1月15日付)
◆「70%がプロ野球引退後に不安」意識調査(日刊スポーツ2012年1月23日付)
どちらのアンケートも、対象者は平均年齢23~24歳程の、主に2軍の若手現役プロ野球選手。
引退後の進路や収入の不安を抱く人が多く、
引退後の仕事としては、野球指導者(高校野球指導者やプロ野球の監督・コーチ等)か、
飲食店開業を希望する人が多い、という傾向があるようです。
しかし、野球指導者はプロ・アマ問わず、狭き門。
「野球を諦めたくない。現役を続けたい」と願う選手は、
台湾や韓国や米マイナーリーグに活路を求めることが多いのが現状。
G.G.選手が、「ヨーロッパという方向もある」という先駆けになってくれるかも。
彼がインタビューで語っていたこの言葉が、特に胸に響きました。
「もし北京五輪の前まで過去に戻れたとして、もう1度あの1球があると分かってて、
『北京五輪に行きますか?』と訊かれたら、
僕は『行きます』って答えると思う。
あの1球はどん底だったけれど、あれでもう1度頑張ろうとバネになったし、精神的にも強くなった。
だから、あの1球はあって良かったんじゃないかと思う」
自分泣いてもいいっすか……(´;д;`)ブワッ
G.G.頑張って!
そしていつかNPBに帰ってきてor欧州にもっと野球を根付かせてきて!
偶然この番組を見て、しみじみと「野球選手のセカンドキャリア」について思いを馳せました。
楽天イーグルスの監督だった野村克也氏は、
毎年シーズン始まりの春季キャンプのミーティングで、
「野球選手として以前に、人としてどう生きるか」を説いていたっけ。
現役でプレーして生活できるのは、長くても40歳前後まで。
野球選手は、引退後の第2の生活のほうが長い。
そのセカンドキャリアをどう生きていくか、今から考えておいたほうがいい、と。
楽天イーグルスを退団した選手達も、過去にたくさんいます。
コーチや打撃投手や球団スタッフなどになった人もいるけれど、
他の多くの選手達は、どうしているのだろう……?
ノムさんのあの時の教えが、何かしらセカンドキャリアに役立っているといいな……。
そういえば、とふと思い出したのが、
「足のスペシャリスト」として私が敬愛していた、高波文一さん。
2003年に戦力外通告を受けて「サラリーマンになるしか」と考えていたところで、
ノムさんが拾って楽天イーグルスに入団。
寡黙で地味な選手だけれど、走塁に対する練習や準備はぬかりなく、とても真面目な方でした。
逆転のチャンスに代走でグラウンドに登場し、盗塁したりホームに突入したりする姿に、
一ファンとして何度も胸を熱くさせられました!
高波さんは、2008年に楽天も戦力外になり、2009年にオリックスも……。
サラリーマンになっちゃったのかしら?
高波さんの一生懸命な走りと守り、大好きだったなぁ。
と思い立って、ググってみたら。
福岡ソフトバンクホークスの3軍守備走塁コーチになってた……!!
やっぱりノムさんの教え通り、得意分野に磨きをかけた”エキスパート”となったことで、
実直な性格も相俟って、指導者として請われたのかな? と想像していますvv
もちろん、一度コーチになれたからといってそれで将来安泰ではなく、
球団の戦力構想次第で、コーチ・監督もいつ契約終了になるとも分からない、
厳しい世界ですけれどね……。
でも、今もプロ野球界でお仕事をしてくださっていて、とっても嬉しいなぁ~vvv
高波さん、良い選手をいっぱい育ててくださいね♪
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