岩手観光2・平泉毛越寺

昨日(8月17日)に訪れた、平泉旅行の続編。
この記事では、「毛越寺」をご紹介します。
奥州平泉、というと「中尊寺金色堂」が有名ですが、
今年6月に世界遺産に登録された「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」は、
金色堂を含む5ヶ所から成っています。
そのうちの一つが、今回ご紹介する「毛越寺」(もうつうじ)。

昨日の日記にも書きましたが、毛越寺は中尊寺から車で5分ほどの場所。
こちらにも観光客がたくさんいました。

こちらが本堂ですが、中には入りませんでした。
奥州藤原氏滅亡後、建物は度重なる戦火で焼失してしまい、現存するのは後世に復元したものだそうです。
私のお目当ては、建物よりもこちら↓。


毛越寺の「浄土庭園」。
浄土――つまり仏の世界を地上に再現しようと、
奥州藤原氏の2代基衡、3代秀衡は壮大な庭園・伽藍をここに作りました。
初代清衡から始まり奥州藤原氏が、この平泉の地に数多くの立派な仏教建築物を建造したのは、
敵味方なく全ての戦没者、さらには動物・鳥・魚など犠牲になった生き物の霊魂を慰め、
仏の教えによる平和な理想社会を築くことが目的だったそうです。
藤原清衡は、日本史でも習った「前九年の役」「後三年の役」で争いの絶えなかった奥州を平定しましたが、
骨肉の戦いの中で、父親や妻子を殺されました。
中尊寺を建立した時に読み上げた供養願文(重要文化財)には、
「この鐘の音は、あらゆる世界に響きわたり、誰にでも平等に、苦悩を去って、安楽を与えてくれる。
<中略>
鐘の声が大地を響かせ動かすごとに、心ならずも命を落とした霊魂を浄土に導いてくれますように」
という趣旨の言葉が書かれているそうです。
未曾有の天災が起きた千年後の今、その地に立って、お寺や仏像や庭園をこの目で見てみて、
犠牲になった全ての魂を供養し、平和で穏やかな日々をと願う奥州藤原氏の切実な祈りが、
静かに身に沁みるように感じられました。
今年6月に世界遺産に登録された「平泉 - 仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」は、
金色堂を含む5ヶ所から成っています。
そのうちの一つが、今回ご紹介する「毛越寺」(もうつうじ)。

昨日の日記にも書きましたが、毛越寺は中尊寺から車で5分ほどの場所。
こちらにも観光客がたくさんいました。

こちらが本堂ですが、中には入りませんでした。
奥州藤原氏滅亡後、建物は度重なる戦火で焼失してしまい、現存するのは後世に復元したものだそうです。
私のお目当ては、建物よりもこちら↓。


毛越寺の「浄土庭園」。
浄土――つまり仏の世界を地上に再現しようと、
奥州藤原氏の2代基衡、3代秀衡は壮大な庭園・伽藍をここに作りました。
初代清衡から始まり奥州藤原氏が、この平泉の地に数多くの立派な仏教建築物を建造したのは、
敵味方なく全ての戦没者、さらには動物・鳥・魚など犠牲になった生き物の霊魂を慰め、
仏の教えによる平和な理想社会を築くことが目的だったそうです。
藤原清衡は、日本史でも習った「前九年の役」「後三年の役」で争いの絶えなかった奥州を平定しましたが、
骨肉の戦いの中で、父親や妻子を殺されました。
中尊寺を建立した時に読み上げた供養願文(重要文化財)には、
「この鐘の音は、あらゆる世界に響きわたり、誰にでも平等に、苦悩を去って、安楽を与えてくれる。
<中略>
鐘の声が大地を響かせ動かすごとに、心ならずも命を落とした霊魂を浄土に導いてくれますように」
という趣旨の言葉が書かれているそうです。
未曾有の天災が起きた千年後の今、その地に立って、お寺や仏像や庭園をこの目で見てみて、
犠牲になった全ての魂を供養し、平和で穏やかな日々をと願う奥州藤原氏の切実な祈りが、
静かに身に沁みるように感じられました。
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