避難所の小坂さん

楽天イーグルスの小坂誠コーチ(育成野手担当)は、宮城県山元町出身で、
昨年現役を引退し、今年1月からそこの実家に住んでいます。
今回の震災で自宅が津波の被害に遭い、
現在、小坂さんは山元町で避難所暮らしをしているそうです。

小坂育成コーチ避難所暮らし 山元町の実家浸水…楽天(スポーツ報知3月24日付)
宮城・山元在住の楽天・小坂コーチ奮闘 グッズ贈り励ます(河北新報3月24日付)

こ、小坂さん……!!(TДT)

ここ10年ほど日本プロ野球ファンだった人で、
守備の名手・小坂選手を知らない人はいないでしょう。
全盛期の「小坂ゾーン」といえば「グラウンドの左半分を1人でカバーする」と言われたほどです。



上記の動画でも、こう紹介されています。
彼のいる方向へ飛んだ打球は
ゴロであれライナーやフライであれ、
守備範囲が広く、正確無比な彼に
大概片付けられてしまうことから、
ある種の諦めと、敬意と、ほんのちょっとの妬みから、こう言われた。
「小坂ゾーン」


◆“守備の華”遊撃手で最高の選手は?20年間の数字から見えた、ある真実。(NumberWEB2010年1月22日付)
2・ひとりだけズバ抜けたスーパー遊撃手がいる!!
3・「平成の牛若丸」「小坂ゾーン」と称される守備の超人・小坂。
>'97年から'03年まで7年連続のレンジファクター1位。
>しかもその数値がすごい。
>ただひとり5.0以上のレンジファクターを、当たり前のように毎年叩き出している。
>ちなみにレンジファクターが1違うということは、1試合あたりアウトにする数が1違う。
>すなわち年間144試合なら144アウト違うことを意味する。
>全盛期の小坂のプレーを球場で堪能できた人たちは幸せだと思う。
>どんな記録を参考にしたとしても……まさに20年にひとり(本当は30年と言いたいが)の
>守備の達人と言っていいだろう。


私は全盛期ではなく、引退前の楽天イーグルス2年間しか知らないのですが、
ほんっとうに素晴らしい守備だったんですよ!!
某掲示板の実況で、小坂さんがアウトをとると書かれる定型句
「残念そこは小坂ゾーン」を見る度に、嬉しくてにやけ笑いしてました^^。
現役最後の1年間(昨年)は、腰の椎間板ヘルニアを患った影響で、7試合しか出場できなくて……。
小坂さんの素晴らしい守備や走塁をもっともっと見たかったので、
引退の報を聞いた時は、ほんとうに落胆し、淋しかったです……。

小坂さんは身長167cmと小柄で、打率はさほどでもないのですが、
動体視力(選球眼)と反射神経と俊足とグラブ捌きが素晴らしい!
新人王、盗塁王2回、ゴールデングラブ賞4回、オールスター5回出場、
通算盗塁数279、通算犠打267という成績を、14年間のプロ選手生活で残しています。

巨人でプレーしていた2008年オフに、戦力外通告と同時に巨人のコーチを打診されましたが、
「現役にこだわりたい」「楽天イーグルスができた時(2005年)から地元でプレーしたかった」
と自ら希望して、金銭トレードで楽天イーグルスに入団してくれました。
そんなふうに、地元・宮城に対する郷土愛も強い選手でした。
球団史の浅い楽天イーグルスにとっては、初の「地元(宮城)出身選手」で、
「おらが町の選手」として、地元ファンの人気と期待も大きかったんですよ。
Kスタで小坂さんの名前がコールされるといつも、球場の観客スタンドがわああ~! と湧いて、
その光景を見る度に、私はとても嬉しく胸躍らせていました。

「ショート」という花形ポジションにありながら、
堅実で無口でシャイで真面目に黙々と仕事をこなす、
まさに「東北人」らしい「職人」でした。
「小柄だけれど守備・走塁のスーパー職人」というプレースタイルも非常に私好みですが、
その地味で誠実なお人柄が特に大好きだったんです。
ああ、ホントにもっともっと小坂さんのプレーを見ていたかったなあ!

2010年10月6日、引退発表後の宮城ローカル番組のインタビュー


2010年11月23日ファン感謝祭での、小坂さんの引退セレモニー



現役引退を機に、今年1月に仙台市から山元町の実家へ引っ越して、
ご両親と奥さんお子さん3人の7人家族で暮らしていたそうです。
3月11日当日、小坂さんはKスタでリハビリ選手の練習を見ていて、地震に遭いました。
翌日、急いで山元町に帰ってみると、自宅は床上浸水、家族は近くの小学校で避難生活……。
小坂さんは、故郷のあまりの変貌に「昨日までの町ではなくなっていた。言葉にならなかった」と。
ともあれ、ご家族がみんな無事だったのは何よりですね。
だけど、幼馴染みで小中と一緒に野球をしてきた2歳年下の後輩さんが未だ行方不明だとか……。

小坂さんは今、球団の了承をもらってチームを離れ、
ご自身も避難所生活をしながら、自宅近くの瓦礫の除去などをしています。
「早くどかさないと、まだ避難所に行く道ができていない。
本当は若い僕達がもっと頑張らないといけないんですが…」
また、避難所の子ども達に、球団から届けられたチームグッズを手渡し握手やサインをして激励も。
「こういう状況の中で笑顔を見せてくれたのは、本当に良かった」

ご本人も避難生活中なので、朝はご飯と汁物、昼はカップラーメン。お風呂も1度入っただけ。
小坂さんの写真1(スポーツ報知)
無精ひげが生えている小坂さんの顔、初めて見ました。
お顔に苦難が色濃くでているようで、胸が痛みます……。

傍目には14年間も華やかなプロ野球選手でありながら、
小柄な体で、怪我にも苦しめられ、人一倍の努力や苦労を重ねて、
第2の人生を歩み始めた矢先だったのに……。
まさかこんな形で、新たに別の苦労を背負うことになるなんて。
ファンの一人として、なんとか応援したい気持ちです……。
だけど、小坂さんは地元愛の強い、「東北人」らしい性格の方なので、
「野球はもちろん、それ以外でも、町が元気になるお手伝いをしていきたい」
「野球で元気を与えるとかまだ言えないけれど、近い将来、また元気を与えられたら。
もう一度、のどかな街が戻ってほしい」
この力強い言葉のとおり、きっと地元に元気を与えて復興の力になってくださると信じています!
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