
すがたやさしく 色うつくしく
咲いているねと ささやきながら





冒頭の文章は文部省唱歌「春の小川」の歌詞ですが、
過去に2度改訂されていて、3パターンあるそうですよ。
1番の歌詞だけここに列挙してみます。
●1912年「尋常小学唱歌 第四学年用」のオリジナル歌詞
春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
にほひめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
●1942年「初等科音楽 一」(3年生用)
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いてゐるねと、ささやきながら。
●1947年「三年生の音楽」
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら。
3パターンあるので、世代によって覚えている歌詞も違うらしいのですが、
現在の小学校で教えられているのは、
1947年版の歌詞だったり、新仮名遣いに直した1942年版の歌詞だったり、
地域、教科書、学校によってまちまちだそうです。
私はどっちで習ったっけかなぁ? どちらの歌詞も記憶にあるような。
蛇足ながら、本日のタイトルは有名な持統天皇の歌、
春過而 夏來良之 白妙能 衣乾有 天之香來山 (万葉集 巻第一 28)
のもじりです。
長年の研究の結果、現代では
春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山
と読むであろうと言われていますが、
鎌倉初期の「新古今集」の巻第三 夏歌175では、
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
と読まれていますね。
「ほしたり」は「ほしている」の意で、
歌が詠まれた当時は、天の香具山に衣をほしていたようですが、
鎌倉初期にはその風俗がもう行われなくなったとみえ、
「ほすてふ」(ほすちょう)=「ほすという」と伝聞の形に変わった、とのことです。
この歌は「小倉百人一首」の2番目に収められた歌でもありますね。中学生の頃暗記したっけ。
広々と清々しい情景が思い浮かんで、好きな歌です。
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この記事に対するコメント
杏月さん、大丈夫なのかな、
心配です
3/10に拍手からコメントを下さったH様
ようこそいらっしゃいませ!
お返事が大変遅くなってしまい、申し訳ございません。
>春の小川が「咲けよ咲けよ」とけしかけるより
>「咲いているね」と見守っているほうが優しいような感じですね
そうですね、同感ですvv
オリジナルの歌詞をそのまま訳せば、「咲けよ咲けよ」が正しいですが、
後者は見守っているような優しい眼差しを感じますよね。
>花は見られるためではなく自分の意思で咲いているのですね
ああ、確かにそういう印象を受けますよねvv
花は自分の意思で、冬に耐え忍んだ力を外に解き放って、
春に華やかな彩りを見せてくれてるのだなぁ。
そう思うと、勇気づけられるような気がします!
素敵なメッセージをどうもありがとうございました!
3/10 14時台に拍手からコメントを下さった方
はじめまして。
貴重なご意見を頂戴し、どうもありがとうございます。
結論から申しますと、
過去に「腐女子のブログ」ということでクレームを戴いたことは、一度もありません。
また、単語検索をすると「~の続きを読む」以下の内容が検索結果に表示されること、
クリックすると、そのエントリーの全文が表示されること、
すべて承知しております。
「腐女子~」と毎回くどくどしい注意書きをしているのは、
上記のようなブログの特性を踏まえたうえで、
誰が、どのような単語検索で、どのエントリーに偶然辿り着いたとしても、
「何も知らずに読み進めて、後で不愉快になった」
という不幸な事故を防ぎたい、という私なりの浅はかな配慮です。
このブログを開設した4年半前から、
「この内容は、腐女子以外の方がご覧になったら眉をひそめるかもしれない」
と私なりに判断したエントリーに注意書きを添えております。
>パスワード制にするかブログ自体使わないことを検討された方がよいのではないでしょうか。
申し訳ございませんが、それは検討しておりません。
腐女子が己の妄想を垂れ流して、
厚顔無恥で無知浅学なことを書いている、という自覚はありますが、
これも私なりの自己表現、ということでどうかご容赦くださいませ。
親身なお気持ちからの丁寧なご忠告と承りました。
お気遣いをいただき、嬉しかったです。
どうもありがとうございました!