本日は第15話「機械たちの午後 PAT.」です。
可愛いタチコマ達が活躍している、声優の玉川紗己子さん泣かせ(?)の回。
GIGの根底テーマを知る上で重要な回なのかなー?と思いました。
※以下、ネタバレありますのでご注意下さい。
●ハンガーでハードのメンテナンス中のタチコマンズ。
毎度毎度思うことだけど、9体ものタチコマのキャラクターを演じ分けてる
玉川紗己子さんはほんとうにすごい!!!
●プロト、キタキターーーーーーーwww
●赤服が赤福。甘党が甘過ぎ。(笑)
●バトーとトグサ、ツーショットで登場。それだけで嬉しい安上がりな杏月w
●タチコマ達がわいわいと同時に話し始めると、かしましいけど可愛いなぁ~^^デレデレ。
●モニター画面に向かうプロトの伏し目がちな顔が見目麗しい……!
私は典型的美形タイプはあんまし好きじゃないんだけどね(苦笑)。
●個別主義者は、自我や個を強調しながら没個性的で主体性がない。
タチコマ達は、並列化を義務付けられながら個性が芽生えた。
いわば対極的な存在、っていうタチコマのセリフにはなるほど~!と関心。
この辺がGIGの根底に流れるテーマなのかな?
◆没個性な集合体の意志を決定しているのは誰なのか?
「個人」と「集団」以外に第三の意志決定主体があるのではないか?
「個人」よりミクロな自身の神経ネットワークと、
「集団」よりマクロな世界を覆う電子ネットワークの双方によって
自分の意志とはかけ離れた、無意識の総意が緩やかに形成されているんじゃないか。
◆つまり、人間は肉体と精神が既に一致していないのに、そのことを自覚していないのでは?
そしてその象徴的なモデルとも言えるのが、人工衛星に載せたHUB電脳でAI並列化をしていたタチコマ。
◆人間は個の差異を求めながら均一化した集団へと進み、
タチコマは情報並列化しながら個性の分化が進む。
一見、対極の方向に進んでいる両者は、奇しくも意識と体の乖離を感じ、
超俯瞰的な第三の主体を感じている点で共通している。
……といったところでしょうか、今回のタチコマおしゃべりで制作側が伝えたかった主旨は。
(大いにハズレている可能性大だけど・笑)
難しいなぁ~。でも面白いw!
●ところで、タチコマ達の以下のおしゃべり(要約)↓
対ジガバチ戦では、己の死への恐怖を感じず少佐の服となったが、
バトーを助けたいと感じた時(SAC第25話「硝煙弾雨」)の、あのえも言われぬ法悦感ではなく、
即物的でプログラムチックな行動だったから、人間の第三主体(ゴースト?)とは違う。
……って、つまりバトーを助けた時は「えも言われぬ法悦感」を既に感じてたってワケで
それって要するにゴーストでないの!!??
●作画監督・中村悟さんのトグサは心なしかタレ目で鷹揚なお坊ちゃんって感じvv
そして素子様は透明感があってとってもキュートvv
●有須田博士は、バトーさんに似せてキャラクターデザインしたそうですね。
あごのがっしりしている骨格とか。
タチコマに愛着をもっている性質がバトーとの共通点ってことで。
●画期的な新発明をした優秀な研究員と、彼の所属する団体とのパテントを巡る争い。
この辺りも現実社会を反映した脚本でなかなか興味深いな。
●タチコマ「もしかしたら僕達って、全員脳無し?」(笑)
●有須田博士とタチコマの触れ合い。
博士は犯罪者かもしれないけれど、自分が生み出した最高傑作品の中に自分の功績を刻みたい、
あるいは、生みの親として子に自分の記憶を、たとえ無意識下でもいいから残しておきたい……。
その気持ちに強く共感して、ものすごく切なくなってしまった……。
●有須田博士の今後は、運が良ければ実刑判決。
運が悪ければ日の目を見ない研究従事で一生飼い殺し。つまりは今までとあまり変わらぬ生活?
なんとも皮肉というかなんというか……。
そして体制に属しその強大な力を借りて通常では成し得ない仕事を遂行する、
という点では、この有須田博士も、公安9課も同じ。
9課の我々にも、仕事に見合う対価や功名、
あるいは至極人間的な親愛の情を抱く自由はない、っていう少佐の自嘲にも感じられたな。
ああ、なんだか切ないお話だったなー。
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