2010_01
19
(Tue)23:59

■好きな「詩」はありますか?

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1月19日の午後3時頃から翌20日の9時半頃まで、
このブログのサーバが緊急メンテナンスに入っていました。
FC2 BLOG 最新障害情報・メンテナンス情報ブログより)
そのため、19日の夜はまったくブログを更新できなかったので、
今日の日記は、20日に書いております。
……日付が変わってから過去の日記を更新することは間々あるので、何をか言わんや、ですが。


そんなわけで、今日の日記はトラックバックテーマのお題を。
「好きな「詩」はありますか?」


詩はほとんど知らない浅学非才な私の脳裏に、
今ふと浮かんだ詩は「あめゆじゅとてちてけんじゃ」ですね。


もちろん、ホントのタイトルは「あめゆじゅとてちてけんじゃ」じゃないですよ。
宮沢賢治の「永訣の朝」です。


永訣の朝


けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゆんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

青空文庫「春と修羅」より転載)


この詩に初めて出会ったのは、中学か高校の国語の教科書だったと記憶しています。
以前の日記にも書きましたが、この詩は私の泣きツボを強く押す詩です。
読む度に必ず目頭が熱くなり、涙腺が緩くなるのです。
>なんなんだろう……心の病なのかな?
>愛に飢えてるんだな、きっと(苦笑)。

と、当時の日記にも書いていましたが。

私は宮沢賢治と同郷ではないので、作中の岩手弁は正確には発音できません。
が、同系列の方言を話す地方の出なので、
一読すれば幸いにして、書いてある言葉の意味と、おおよその発音・イントネーションと、
そしてその言葉が内包するニュアンスや感情も、共感と郷愁を伴って理解できます。
それだけで、田舎生まれで良かったなぁ、と思えます。

一番の理解者、信仰の同志である妹の臨終を目前にして、
胸が押しつぶされそうな悲しみと絶望と孤独の淵にある賢治。
「みぞれを取ってきて」
死に際の苦しい息の下から、そう兄に懇願する妹。
妹のその願いは、自分の渇いた喉を潤すためではなく、
兄を「一生明るくするために」真っ白で美しい雪を取りに行かせたのだ。
そう気づいた瞬間を境に、賢治の心情を暗示する情景描写も、
どんよりと陰鬱なものから、高潔で清廉なものに変わって。
「私は私で、一人行くから」
か弱く健気な妹の、悟りにも似た強い決意。
それを受けて賢治は、
「私もまっすぐに進んでいくから」
「どうかこの茶碗の雪が天上のアイスクリームになって、お前と皆とに聖い資糧をもたらすように」
自分の全ての幸せと引き換えに願う。

「銀河鉄道の夜」のメインテーマとして後に描いていた
「ほんたうのさいはひ」を痛切に求め願う賢治の心が、深く胸を打ちます。
平易で簡潔な単語を並べながら”最愛の人の死に面する”その激情を鋭く深く静かに表現していて、
その秀でた語彙力、構成力、表現力には唸らされます。

と、私がこの詩の素晴らしさを語ろうと試みたところで、
足りない頭を絞っても読解が浅はかなうえに、絶対的に文章力不足。
詮無いことでありました……orzガクリ
ピクニック装備で冬の富士山に登ろうとしてる、みたいなカンジ~?(コギャル風)
ああ、ガッコーで宮沢賢治論とか取って、もっとベンキョーしとけばよかったな。


この「永訣の朝」の他に、私がブラウザのブックマークに入れていた詩は、
高村光太郎「智恵子抄」
岡本かの子「桜」(太陽の塔を作った岡本太郎のお母さん。詩、というか短歌)
どちらもズドン! と胸の奥に突き刺さってきます。
他にもいい詩はたっくさんあるんでしょうけれど、
ほんとうになんもしらない無教養な女なもので、あと思い浮かびません。
他に「この詩はいいですよ」というとっておきのオススメの詩をお持ちの方は、是非ご教授くださいませ。

いつもいつも己の文章について「無駄に長い、くどい、ウザイ」と愚痴っている私は、
もしかして、詩をこそ、たくさん読んで勉強すべきなんでしょうかね?
そうすれば少ない字数の中に、深く奥行きのある豊かな文章が書けるようになるかも!?
だけど、散文には馴染みがあるものの、詩はどうも敷居が高い印象で。
あまり食指が動かないので、当面は偏食のままかなぁ。
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