野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは茶摘みじゃないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠
文部省唱歌「茶摘み」
「八十八夜」とは、立春を起算日(第1日目)として88日目のこと。
……ホントは明日、5月2日ですが^^;。
「八十八夜」と聞けば、冒頭の歌が脳裏をよぎります。
なんでも、この日に摘んだお茶は上等なものとされ、
この日にお茶を飲むと長生きするとも言われているそうです。
ならば、わたくしめも言い伝えに肖りましょうぞ。

とゆーことで、抹茶のケーキを堪能しました~♪
(言い伝えのどこにも「ケーキ」とは書いてないけど?)
もうひとつ。
「八十八夜」といえば、太宰治の「八十八夜」という短編小説がありましたね。
◆「八十八夜」(青空文庫)
この短編の冒頭には、
「諦めよ、わが心、獣の眠りを眠れかし C・B」
という一行があります。
なんでも、Charles Baudelaire (シャルル・ボードレール)の
Le goût du néant (虚無の味)という詩の一節だそうです。
Résigne-toi, mon coeur; dors ton sommeil de brute.
この「八十八夜」、読んだことがなかったので、この機に一読してみましたが。
いやぁ~。ぐさりと胸に刺さりますなあ。
簡潔な短文。豊かな心理描写。赤裸々な吐露。
太宰治の心に巣食う「無限に静寂な、真暗闇」を私まで追体験しているような気にさせますね。
なんと読みやすくて、なんと痛々しい。
さすがは太宰治。(私が言うのもおこがましい)
この一文なんて、とても他人事とは思えずに背筋が冷えましたわ^^;。
このごろ、ずいぶん努力して通俗小説を書いている。けれども、ちっとも、ゆたかにならない。くるしい。もがきあがいて、そのうちに、呆(ぼ)けてしまった。
ちょうど、私の書いたはなたんSSをお読みくださった方から拍手メッセージを戴き、
それがきっかけで、この短編小説を高校以来久々に読み直したところでした。
◆「山月記」(青空文庫)
「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」
「八十八夜」の笠井さんも、「山月記」の李徴も、
高すぎる理想像と、己の凡庸な文才との乖離に悩み、
それでいて自ら文才を磨く努力をせず、他人を卑下し、
他人からの評価を異常に気にして、肥大した矜持を持て余し、狂わんばかりに煩悶する。
私なんかは職業小説家でも何でもなくて、
二次創作のオ○ニー似非小説を自己満足でほそぼそと書いているだけの身ですが、
笠井さんや李徴の心情吐露は、我が胸をナイフのように抉りますなー^^;。
人は自己表現をすると、「評価されたい」「褒められたい」と多かれ少なかれ思うものでしょうけれど、
客観的な自己分析をして、理想とのギャップを知った上で、
諦めて現状に甘んじるのか、理想目指して努力に邁進するのか、受容できずに狂うのか。
人って難しいものですねぇ。
ところで、この太宰の短編、なんで「八十八夜」ってタイトルなのかしらん?(笑)
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この記事に対するコメント
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夏も近いですね~
私も八十八夜というとその歌です。手もなんとなく動きます。(笑)
太宰治の「八十八夜」という短編小説、カケラも知りませんでした。(* ̄∇ ̄*)エヘヘ
『ずいぶん努力して通俗小説』~辛辣ですねぇ。通俗小説しか受け付けない身としてはなおさらに。
「山月記」も難しかったです。
ここ最近、わっかりやすいお話しか読んでいなかった脳が煙吹きました、ゲンミツに!
でも、新茶の美味しい(ハズの)この時期に規定値以上が検出されてニュースになるこの切なさ・・・
ちょっとくらい飲んでも大丈夫って、お前ら飲めよ!(怒)
パフォーマンスでもいい。カイワレ食べたノリで記者さんたちの前で新茶飲んでください!
(っても、時機を逸してますけど^^;)
最後に、なぜ太宰さんのお話が八十八夜か?ですが、単純に「五月のはじめ、あり金さらって、旅に出た」からじゃないでしょうか? ダメですか?
コメントをありがとうございます
●5/17にコメントを下さったH様
てへ
きっとそうですね。合点がいきました
ありがとうございます。
お返事は4/24付けの日記のコメント欄に書かせていただきました。
●pem様
サイトのメルフォ&WEB拍手に戴いたコメントの一部にも、
ここでお返事させていただきますね。
>太宰治の「八十八夜」という短編小説
私も今回初めて読みました
いい年して無教養な女でお恥ずかしいです…orz
>「山月記」
私も「ん? なんかこのタイトル聞いたことあるような…?」と思いつつ、
読み直してやっと思い出しました。
虎が出ていることすら忘却の彼方でした…orz
>ただ考え込むだけじゃなく、それを前向きなエネルギーに変換しろってことですよね。
>ウダウダ嫉妬だけしてると、虎になる、と。(ちがっ^^;;;)
きっとそういうことだと思いますよ。
私のブログの開設初日にも引用した言葉ですが、
「(誰も僕を知らず。僕のほうでも誰も知らないところでありさえしたら、そこへ行ってどうするかというと、)
僕は耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」
な~んていうふうに「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」で自意識過剰に悶々としているよりも、
他者からの誹謗中傷を恐れず、意見の相違は受け入れ議論し、
褒められたい・向上したいのなら、もっと自ら努力しろ、と。
「山月記」は漢文調の格調高い端正な文体で、
「八十八夜」は口語調の平易簡明な親しみやすい文体で、
それでいてどちらも「文字書き」の強迫観念的な心理を鋭く抉っていますよね~。
どちらも稲妻のように胸に刺さりました。
そういえばふと思い出しましたが、
作者ひぐちアサ先生が「おお振り」の前に描いた連載「ヤサシイワタシ」の弥恵さんは、
自己顕示欲が強く、プライドが高く、努力がキライで、他人を卑下するうえに、
「客観的な自己分析」ができなくて、他人からの評価に不満と怒りを持ち続けていましたね…。
笠井さんや李徴よりもっと痛々しい人で、だから私は好きなのかな、あの作品。
>単純に「五月のはじめ、あり金さらって、旅に出た」からじゃないでしょうか? ダメですか?
なるほど